いま書いている横では、テニスのウィンブルドン選手権の生中継が放映されていま
す。ウィンブルドンといえば、ロンドン郊外。ロンドンといえば、そう、英国。43年
間加盟してきた欧州連合(EU)からの離脱を国民投票で決め、世界中を仰天させたば
かりの英国です。
投票終了直後に「残留52%に対し離脱48%」との世論調査結果の発表を受け市場の
安堵もつかの間、離脱派が勝利するという、まったく同調査が当てにならなかった結
果から続く英国発の連日のニュースに、個人的には口あんぐり状態です。
離脱派の急先鋒(せんぽう)だった極右政党、英国独立党(UKIP)のファラージュ
党首が、離脱の論拠の一つとして挙げていた「週3億5000万ポンド」(約480億円)
に達すると主張していたEUへの拠出金の数字が実は間違っていて、残留派が反論し
ていた「週1億数千万ポンド」が正しいことを投票後に認めました。金額を3倍も誇
張して扇動したことになります。
しかも、同党が離脱キャンペーンの柱としていた、拠出金を英国の社会保障制度の
国営医療制度(NHS)に充てる公約さえも「間違いだった」とのこと。
今回、高齢者層を中心に離脱派に投票した有権者の多くがこの公約に期待していた
ことを考えると、同党の「テヘペロ」的な対応に怒りを覚え、再投票を求める署名運
動が活発になっているのもわからなくもありません。ただ、後悔先に立たず。キャメ
ロン首相は国民投票のやり直しを考えてはいないようです。
同党の無責任さに加え、残留派のアピール方法もうまくなかったのかもしれません
が、「正しい情報」が有権者の胸に響かず、刺激的な「ウソの情報」が広く拡散され
信じられてしまうという事態は他山の石にすべきだと思いました。
「日経プラス10」でもおなじみの滝田洋一編集委員の言葉を借りると、英国の現状
は"Marry in haste, and repent at leisure"(慌てて結婚、ゆっくり後悔)をな
ぞらえて、さしずめ"Divorce in haste, and repent at once"(慌てて離婚、たち
まち後悔)と表現できるとのこと。うまい! 座布団10枚!
海外メディアやツイッターでは、"Brexit"(Britainとexitの造語)に絡め、
exitの代わりにregret(後悔)を足した"Bregret"や、regretとexitとあわせた
"Regrexit"といった造語も散見されます。
さらに、スコットランドや北アイルランドは悲願ともいえる英国からの独立をこの
タイミングで声高に言い出したかと思えば、首都ロンドンの市民からもEU残留を求
め、英国から独立する動きが出るなど、混迷は深まるばかりです。東京都が日本から
独立する事態なんて、ちょっと想像がつきません。
英国の議会制民主主義に少なからず敬意を表していた身としては、残念な気持ちで
いっぱいです。そんな気持ちを知り合いに吐露したところ、「民主主義には、今回の
ような危険がはらんでいることを、1960年にすでに指摘されていたんだよ」と、「新
自由主義」の旗手と呼ばれたフリードリヒ・ハイエク氏の著書『自由の条件』
("The Constitution of Liberty")を渡してくれました。
ノーベル経済学賞も受賞したハイエクは同書で「民主主義はよいことであるから、
それが広まれば人類にとって常に利益をもたらす」との考えに対し「そのようなこと
は決してありえない」と断じています。あくまでも手続きのひとつであるはずの民主
主義が自ら「拡張」しがちである傾向を取り上げ、その一つとして「民主主義的な手
続きによって決定される問題の範囲」の拡張を指摘しました。
「教条的な民主主義者は、できる限り多くの問題を多数投票によって決定すること
を望ましいとみなす一方、自由主義者はこのようにして決定されるべき問題の範囲に
は、はっきりした限界があると信じる」と語り、何でもかんでも多数決にはかるので
はなく、多数決で取り上げるべき課題を選別すべきであると説いています。
英国のキャメロン首相はEU離脱を問う国民投票を実施したことを「後悔していな
い」と語っていますが、果たして「EU離脱」というテーマは一国の多数決にはかる
べき問題だったのでしょうか。考えさせられます。
EU離脱決定直後に連絡をとった英国滞在中の金融関係者は「EU離脱で英国人だ
けがテニスをするウィンブルドンになるかもしれない。それを高いお金を出して見に
来る観客がどれだけいるのだろうか」と、英国固有の競争力に対しては疑問を呈して
いました。世界中の資金が英国に集まり、外国から優秀な選手がウィンブルドンでテ
ニスをする様になぞらえ「ウィンブルドン現象」と皮肉られた英国は、どこに向かう
のでしょうか。
英国のEU離脱問題は長引くと言われていますが、さて来週はどうなることやら。
私事ですが、私の1週間の終わりと始まりは土曜日の朝に切り替わります。BSジャ
パンで毎週土曜日の午前9時から放送されている「日経FTサタデー9」(豊嶋広
キャスターも出演中)で今週を振り返り、来週の出来事を先取りしておくのが最近の
習慣になっているからです。
皆さま、素敵な週末をお過ごしください。
(日本経済新聞社編集局 編集委員兼政治部シニア・エディター兼キャスター)
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