
風景や家族ばかり撮っていましたが、
番組を見て、もっと「人物」を撮ってみたくなりました。
人の表情を自然で、かつ豊かに撮るために、
心がけていること、
大切に思っていることなどはありますか?
人を撮ったら楽しそうに見えたって事はさ、
俺にとってうれしいのは、小手先じゃなくて、
しゃべり方も乱暴だったりするけど、
立木義浩の全人格をベロンと出して、
向こうの方もそれに応じてくれてるっていう事になるので、
お互いの語り合うって感じがさ、そこの中にあるはずなんだよね。
だから話しながら、暖簾の所にファッと出てきて、
暖簾が一発かかってるあのおじさんの写真がさ、
素敵に見えたとしたらね、
そういう瞬間にも撮るんだっていうのを覚えて欲しいっていうか、
トライして欲しいし、
色々しゃべった末での拾い上げられたものかも知れないでしょ。
そういうものってね。
でも、ホントのスナップですれ違い様に撮れるものもあるしさ。
ただやっぱり、人を撮るってのが一番面白くて難しいですよね。
何度も何度も撮ろうと思ったら撮れるけど、
その日によって違うわけじゃないですか、人は。
大前提にさ、いい写真は表情豊かっていう風に決めてくるじゃない。
表情が豊かで生き生きとしてって事があるけどさ。
それはちょっと苔むしてるって感じがしないでもないよね。
そんなに写真を撮る時にさ。
撮られる方が生き生きなんか出来る?
俺なんかいつも撮られる時、ムッとしてるんだけどさ。
早くしろみたいな感じで。
だからそこでの会話なり、何なりが必要なんだけど。
生き生きと見える一つの条件として、
目にキャッチライトが入ってるかどうかってのは、技術的なことであるわな。
それと口元がこう下がってるか上がってるかっていうので、
その人の性格が明るく見えたりなんかするのもあるじゃないですか。
百面相の内でどういうのが渋い顔か、
どういうのが明るい顔かって自分で鏡見れば分かるじゃない。
そういう風にさせた方が、明るくは写るけど果たして明るければいいのかってのがあるでしょ。
そんなとこまで疑問を持たないで、
ずっと手前の初歩の段階でホントに歯並びもピカピカ光って、
目にキャッチライトが入ってキレイに写ったっていうんで、いいんであれば、
大阪風なテクニックであれば、
自分を卑下するって方法だよね。
ちょっとアホッぽくするとか、
余計な動きをしてみせるとか、
笑っていただく為の努力。
つまり写真撮る為には、何でもしちゃうって気持ちがないとさ。
プライドは高くていい写真撮りたいっていうんじゃ、
そこで固まっちゃうだろ。
だから地べた這い回るみたいな。
命を削ってるってのは大げさだけど、体は削ってるよね、
写真を撮るのって、やっぱり。
下手すると人の気持ちの中にグサッと手を入れるような行為でもあるからね。
映画の監督がいて、撮影部がいて、
照明部がいて美術部がいるみたいのを、
スチールカメラマン一人でやるわけだよね。
そうすると撮るってのは撮影部なわけじゃない。
何ミリのところで撮るか。
それで演出部がただ黙ってるのもあるんだよね。
ただ黙ってるから、相手が気になっちゃって
どうすればいいんですかって聞いたところを撮るってのも演出部の方法でもあるよね。
なんにも言わないから、
撮られる方が気になって、協力しちゃうっていうね。
それからもう雨あられと言葉を投げつけて、
うっとりさせるってタイプもいるよね。
その演出部っていってもさ、
カメラマンの演出部の中に色んな種類があるわけだから、
それをどうやるか。今日はどの手でいくかってのもあるじゃないですか。
ただただ褒めてっていうんじゃ慣れてきちゃうよね。
キレイ、キレイっていってさ。
お化粧のノリもいいとか知ってること全部言ってもさ、
しまいには慣れだよね。
虹が出ても15分も経っちゃえば見なくなるのと同じだからさ。
時々、心にガツンと響くような、
殴るような事言った方がいいかもわかんないですよ。
それは頭に言うかケツに言うかなんだよね。
どうしたの寝不足なの?ってちょっと言うだけでさ。
ヒッってなる場合もあるし、心理作戦なわけでしょ。
カメラを構えてる上に、ちょっとした言葉を吐きつつ、
こっちが欲しいものをって言うのは。
でもそんな事はアマチュアはしなくてもいいような気がするんだけど。
何をしたいのかが良く分かんないのよ。
どういう写真を、女性だったらどういう風に写したいってのがわかればさ。
簡単なんだけど。
質問は短いんだけど。内容が大きすぎてよ。
宇宙を彷徨う事になっちゃうんだよ。

1937年徳島県徳島市出身。東京写真短期大学卒業。女優写真の第一人者。NHKの朝の連続テレビ小説『なっちゃんの写真館』のモデルとなった立木写真館3代目・立木香都子の次男として、徳島市に生まれる。1958年に東京写真短期大学(現・東京工芸大学)を卒業。写真館の営業の後継者としての仕事を措いて、「アドセンター」設立と同時に、フォトグラファーとして参加。1969年にフリーフォトグラファーとなり、広告・雑誌・出版・映像など幅広い分野で活躍。