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Bunjin東京グルメ

第13回 『新宿中村屋』
~美術・文学の志士が集った楽土~(前編)~

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2014.03.18

大正14年から昭和3年にかけて、光太郎は“猛獣篇”なる14の詩を作るが、ニューヨーク時代を振り返った『象の銀行』や『白熊』は、人種差別に苦しむ当時の光太郎の苦悩が描かれている。このような時代に出会った同志・荻原守衛の存在はとてつもなく大きく、光太郎は守衛を追うようにロンドンを経てパリへと渡仏するほどである。後年、“荻原守衛こそ日本近代彫刻の先駆者”と敬意を表する光太郎が、帰朝後に中村屋を訪れたのも自然の摂理だった。そして、彼もまたサロンの主要人物となっていく。

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当時中村屋には、柳敬助、中村彝(つね)、鶴田吾郎とった画家も出入りしていた。特に、柳敬助はニューヨーク時代に光太郎と守衛の橋渡しをするだけでなく、光太郎に智恵子を紹介した八重子、その夫となる人物でもある。中村屋は、間違いなく高村光太郎という人物を語る上で欠かすことのできない思い出の地なのだ。

同時期、光太郎は新進気鋭の文芸・美術家が集う『ヒウザン会』と『パンの会』にも名を連ねている。浅草の飲食店や吉原で、随分と無茶をしていたことを自白しているが、その馬鹿騒ぎは、「その頃(明治44年)、私の前に智恵子が出現して、私は急に浄化されたのである」と告白するように、智恵子を境に収束していく。

不思議なことに、光太郎の作品のなかには“中村屋サロン”について書かれたものがほとんど見当たらない。浅草の話はよく出てくるのに、新宿の話は出てこないのだ。中村屋には、光太郎の青春時代を知る荻原守衛、柳敬助といった刎頚の友。そして、もしかすると智恵子の姿も・・・。彼にとって、新宿中村屋は素面でいられる特別な場所。ただ、そこにいるだけで十分な場所だったのかもしれない。

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