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Bunjin東京グルメ

第4回 『うさぎや』
~喜作最中がつむいだ"思い"~(後編)

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2014.01.01

自殺を図る1927年7月。その2カ月前に、彼は短編『しるこ』で、関東大震災によって東京のしるこ屋が消失してしまったことを嘆いている。一方で、このときの彼は、かの有名な『文芸的な、余りに文芸的な』を発表し、谷崎潤一郎と論争を繰り広げている真っ只中でもあった。甘いものへの乾きは止まらない。しかし、彼はその論争の中、帰らぬ人となる。

「勿論出版する期限等は全部岩波氏に一任すべし。この問題も谷口氏の意力に待つこと多かるべし。」(『遺書』)

遺書の中に登場する谷口氏とは、『うさぎや』主人・谷口喜作その人だと言われる。芥川がどれだけ信頼していたかが、この一節からも伺い知れる。4代目主人・谷口さんは言う。
「芥川さんが亡くなるときに喜作へ手紙を宛てたのが縁で、葬儀を取り仕切ったという話を伝え聞いたことがあります。ですが、実際のところは私たちにも分からないんですよね」。
真相は"藪の中"。だけど、"卯と龍"をつないだ最中の味は今も残る。

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「初代・谷口喜作は卯年生まれ。最中の焦がしの皮も、うさぎが丸まっている様子をモチーフにした"うさぎ型"といって初代が考案したもの。創業から、"うさぎやは素人の菓子屋也"を信条としています。これからも親しみのある味をお届けしたい。」

喜作最中を一口ほおばりながら、4代目がお話する菓子の話に聞き入る。
楽しくて、美味しい。芥川にも、こんな風にうさぎのように丸みを帯びた時間が流れていたはずだ。世間の世知辛さを忘れる、甘いお菓子の時間が。

きっとその瞬間、芥川はあの肖像写真からは程遠い笑顔で喜作最中を食べていたのだろう。親しみを感じながら。そんな彼の姿を想像して、『うさぎや』でお菓子を求めてみる。 一度、訪れてみてはいかがだろうか。

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