小倉昌男(ヤマト運輸元会長)

小倉昌男(ヤマト運輸元会長)
宅配便の最大手・ヤマトグループ。荷物の増加と人出不足で“働き方改革”真っ只中にあるが、もともと“宅急便の生みの親”であるヤマト運輸元会長・小倉昌男(1924~2005)は、当時画期的な“働き方”を打ち出した先駆者だった。小倉は「サービスが先、利益は後」との理念の下、1976年に「宅急便」を開始。荷物を配達する「セールスドライバー」を全て社員化し、一人一人が担当エリアに責任を持つ「全員経営」の方針を掲げた。
宅急便はサービスの良さが評判を呼び、5年で採算ラインを突破。小倉は社員にゆとりがなければいいサービスはできないと考え、第一線の社員を大切にした。今では当たり前になった配送車のウォークスルーも、小倉の発案によるもの。ドライバーが腰を痛めずに立って作業できるよう室内高を高くし、右ハンドルの日本で安全に乗り降りするために助手席のシートを取り外すなど、徹底して現場のためにアイデアを絞った。
  • 2018年2月17日(土)
    「宅急便の生みの親が残した“働き方改革”の精神」

    小倉昌男は1924年、東京で運送会社を営む家庭に生まれた。
    父親が戦前に「大和運輸」を創業し、関東一円にネットワークを築く会社に成長させた。しかし、小倉が本社のトラック部門の営業部長に就任したころ、経営が悪化していた。関東圏の輸送に固執していたため、関西までの長距離輸送を請け負ったライバル会社に差をつけられていたのだ。
    父を説得して長距離輸送を始めるが、時すでに遅し。そこで小倉は新しいマーケットを開拓しようと決意。家庭から家庭へと荷物を運ぶサービスを、民間のトラック会社として初めて商品化しようとした。
    赤字を恐れた経営幹部からの猛反発を受けるが、「サービスが先、利益は後」との理念の下、1976年に「宅急便」のサービスを開始。宅急便はセールスドライバーのサービスの良さが評判を呼び、家庭の主婦を中心に定着していく。
    一方で、顧客のために国とも本気で戦った。より安く手軽に宅急便を利用してもらおうと、当時は存在しなかった小型荷物のサイズを発案。しかし運輸省の認可をなかなか得られなかった。すると小倉は、新聞にその内幕を伝える広告を出して消費者を味方につけることに成功。見事、安価で利用できる新サイズを認可させたのだ。
    社員が働きやすい職場を築くことがサービス向上につながり、ひいては消費者の支持を得るという小倉の強い信念はヤマト運輸を飛躍的に成長させていく。
    1995年、小倉は役職を離れ、2005年に80歳で亡くなった。現在、ヤマトグループは荷物の増加と人出不足で、ドライバーへの負担が増し、“働き方改革”の真っ只中にあるが、経営陣は今こそ小倉の精神を受け継ごうとしている。