安藤忠雄(建築家)

安藤忠雄(建築家)
光の教会、ユネスコ本部瞑想の空間、表参道ヒルズ…。国内外で印象的な建築物を作り続け、建築界のノーベル賞と言われる「ブリッカー賞」を受賞、コンクリートの光と影を巧みに操る世界的建築家安藤忠雄。貧しい幼少時代を過ごし、建築学は独学で学んだ。苦難の連続の中で掴んだ天職。今もなお精力的に活動する安藤の原点はどこにあるのか?本人のインタビューを軸に、これまでの生き様を4回に分けて放送する。
  • 第1話(5月2日放送)
    「“自己流を貫け” 生い立ち~建築家を志す」

    1941年、大阪市で双子の長男として生まれた安藤は、祖父母家の養子に入った。貧しい幼少期を過ごす。中学時代に建築に興味を持ち、数学の美しさを学び、物を構築する素晴らしさを知った安藤は、高校時代にはすでに建築の道を志していた。しかし、経済的な事情で大学には進めず、独学で建築学を学ぶ。必至で勉強し、28歳でついにフリーの建築家としてデビューするが、仕事は全く来なかった。

  • 第2話(5月9日放送)
    「“闘う魂を持ち続けろ”苦労の下積み時代~建築家としての第一歩」

    安藤は建築家としてデビューしたものの、仕事が全く来なかった。建築士の資格を持っていなかった安藤はそこから猛勉強し、一級建築士に見事合格。30歳でようやくこれまでの努力が報われていく。35歳で安藤建築の原点となる「住吉の長屋」を建築。これをきっかけに、コンクリート打ちっぱなしと幾何学的なフォルムによる独自の表現方法を確立していく。

  • 第3話(5月16日放送)
    「“人との出会いに育てられて”華々しい活躍、そして苦悩…。」

    安藤は30代半ば以降、北野ローズガーデン、光の教会など、意欲的に斬新な建築物を生み出していった。しかし、安藤の斬新なアイデアは時に依頼主から反対されることもあり苦難の連続であった。そして、バブル絶頂期の1988年、瀬戸内海の直島を芸術の島にするという計画に協力、実に7つの建築物に携わった。さらに1996年には同潤会青山アパートメントの再開発計画に携わり、表参道ヒルズが完成。いずれも当初は住民、地権者達からの猛反対にあいながら、地道な努力で実現に導き、今や一大名所となっている。

  • 最終話(5月23日放送)
    「日本のために、身を捧げて…」

    安藤が熱心に取り組んでいるのは、若者たちへの教育。今の若者は自分で考える体験が絶対的に不足していると考える安藤は、国内外の大学で建築学の講義をする一方、自らの事務所の若い所員たちへも独自の指導をしている。世界の数々の有名建築を送り出してきた安藤だが、子どもたちのための小さな美術館も設計している。