中内功(ダイエー創業者)

中内功(ダイエー創業者)
消費者が買いたいものを、買いたい価格で!ダイエー創業者の中内功は「価格は消費者が決めるべき」という「安売り哲学」を信念とし、スーパーマーケットを全国展開。メーカーが価格を決めていた時代、中内の考えはメーカーや問屋などから激しい反発を受けた。だが中内は屈せず「流通の革命児」と称された。ついには「経営の神様」と呼ばれた松下幸之助と対立。日本経済史に名を残す松下・ダイエー「30年戦争」にまで発展した。
松下との確執はなぜ起きたのか?なぜ中内は生涯、安売りにこだわり続けたのか?原点は戦時中の激戦地・ルソン島にあった。ひん死の中内の脳裏に浮かんだ、ある料理とは!?その料理がやがて、ダイエー躍進の原動力にもつながっていく。今やコンビニやスーパーで当たり前となったプライベートブランドに初めて本格的に取り組むなど、先駆的なアイデアで流通業界を牽引した中内。その生涯を息子・潤氏や当時の部下の証言を元に追う。
  • 2017年11月18日(土)
    「買いたいものを買いたい価格で!魂の安売り哲学」

    中内功は1922年、大阪に生まれた。父が薬局を開店し、幼いころから商売の道に進むことを夢見た。しかし太平洋戦争で徴兵され、激戦地・ルソン島に派遣された。敵の手りゅう弾で大けがを負った際、中内の脳裏に子供のころに家族とすき焼きを食べた光景が浮かんだ。「死ぬ前にもう一度すき焼きを腹いっぱい食べたい」。その執念が通じたのか、偶然通りかかった衛生兵に止血され、一命を取り留めた。そこから生き抜くために、何でも食べた。この経験から、中内は人間の生活の中で最も大切なものは物質的な豊かさだと確信し、この経験が後の「安売り王」の原点となった。
    終戦後、中内は薬の卸売店を開業。前金をもらってから仕入れるという逆転の発想で安売りに成功し、一躍人気店に。さらに一般客を相手に薬の小売店、さらには日本ではまだ珍しかったスーパーマーケットを開業した。当時は高嶺の花だった牛肉に目をつけ、戦地で夢見た「すき焼き」をもっと気軽に食べてもらおうと、牛肉の安売りを始めた。これに危機感を持った精肉業者に仕入れを止められると、自社で牛の飼育に乗り出した。消費者の支持を受けたダイエーは創業5年で売上100億円を突破。1963年、「リンゴからダイヤモンドまで」をキャッチフレーズに格安商品が揃う大型店舗を神戸に出店した。しかし、中内の「安売り哲学」は、「経営の神様」と呼ばれた松下幸之助との対立に発展。メーカー価格での販売を望む松下と中内の会談は決裂し、互いに取引をしない「30年戦争」に突入したのだった。中内は徹底して消費者目線にこだわり、今では当たり前となっているプライベートブランド、コングロマーチャントなど手広く事業を展開した。売り上げ1兆円を突破し、47都道府県すべてに出店するなど隆盛を極めたダイエー。しかし、90年代半ばから業績は悪化し、中内は社長の座を退いた。その後は私財を投入して神戸に設立した流通科学大学の経営に専念。2005年に亡くなるまで流通業界を背負って立つ人材の育成に力を注いだ。中内の「安売り哲学」は今も後進に受け継がれている。