竹鶴政孝(ニッカウヰスキー創業者)

竹鶴政孝(ニッカウヰスキー創業者)
ニッカウヰスキー創業者・竹鶴政孝は、本場・スコットランドと同じ製法にこだわり、日本に本格ウイスキーの文化を根付かせた。
NHKのドラマ『マッサン』の主人公のモデルとなったが、ドラマでは描かれない「光と影」があった。
スコットランド出身の妻・リタと育てた「知られざる養女」との秘蔵映像がテレビ初公開!
孫に言い残した「国際結婚はするなよ」という言葉の真意とは?
  • 2017年10月21日(土)
    「国際結婚を後悔!?“マッサン”の知られざる素顔」

    竹鶴政孝は1984年、広島県の造り酒屋の三男として生まれた。家業を継ぐ予定だったが、洋酒の作り方に興味を持ち、洋酒メーカーに就職。当時は原酒が入っていない「イミテーションウイスキー」が主流だった。1918年、竹鶴は社命でウイスキーの本場・スコットランドへ留学。自らスコットランドのウイスキー蒸留所を訪ね、「門外不出」とされたウイスキーづくりを学んだ。そんな中、スコットランド出身の女性・リタと出会い、2人は結婚。1920年に一緒に帰国した。しかし当時の日本は大恐慌で、竹鶴は戻った会社でウイスキーを作ることはできなかった。竹鶴はサントリーの前身となる企業に転職し、1924年、京都・山崎に日本初のモルトウイスキーの蒸留所を完成。1929年、日本初の本格ウイスキーを発売するが、まったく売れなかった。竹鶴は日本人の口に合った製品を望む経営者と対立。独立して北海道・余市に拠点を移し、1940年、「ニッカウヰスキー」を完成させた。
    しかし、第二次世界大戦が勃発。白人のリタは周囲からいじめを受けた。加えて、養女のリマもいじめられた。これが原因でリタとリマの関係は悪化し、リマは年ごろになって家を出て行き、絶縁関係となった。竹鶴が残した回顧録にも、その存在は一切記されていない。
    今回、竹鶴の孫・孝太郎氏の許可を得て、竹鶴自らが撮影したリタとリマの映像をテレビ初公開。知られざる家族の素顔が明らかになる。
    リタは戦後、体を壊し、1961年に64歳で他界した。竹鶴は、リタが自分ではなく英国人と結婚していたら、違った運命だったのではないかと、悔やんでいたようだった。竹鶴は亡くなる直前、孫の孝太郎氏に「国際結婚はするな」と言い残したという。日本とスコットランド。二つの狭間で、喜びも苦しみも味わったのだろう。
    戦後はイミテーションウイスキーが流行し、値段の高いニッカは売れなかった。しかし、竹鶴は安くとも本場の味に近づけることにこだわり、1965年、日本初のグレーンウイスキーをブレンドした新「ブラックニッカ」を当時としては破格の1000円で発売。爆発的なヒットとなった。さらに原酒が入っていないとウイスキーとは名乗れなくなり、本格ウイスキーを売る環境も整った。竹鶴は1979年、85歳で他界した。ウイスキー一筋に生きた人生だった。ジャパニーズ・ウイスキーは今や本場と肩を並べるほどで、世界五大ウイスキーのひとつに数えられている。竹鶴が種をまいた本格ウイスキー文化は日本で大きく花開いている。