盛田昭夫 / 井深大(ソニー創業者)

盛田昭夫 / 井深大(ソニー創業者)
エレクトロニクスを始めとした世界屈指の複合企業ソニー。戦後の小さな町工場を「世界のSONY」に育て上げたのは、創業者の2人だった。妥協知らずの天才技術屋・井深大。あのスティーブ・ジョブズが尊敬した、空飛ぶビジネスマン・盛田昭夫。2人は絶妙のコンビネーションで、トリニトロンカラーテレビやウォークマンなど、数々の革新的製品を開発・販売し、世界を席巻した。
「安物の粗悪品」という日本製のイメージを覆し、ジャパン・ブランドの名声を確立した。販路開拓のためアメリカに移住した盛田が取った行動とは…?さらに、井深のアイデアを受け、盛田が「会長のクビ」をかけて開発を決断した世界的大ヒット商品とは?創業者2人の絆を軸に、ソニーが世界的企業として成功を収めていく過程を、ソニー関係者や親族の証言を元に追う。
  • 2017年9月30日(土)
    「未来を形に!ジャパン・ブランドを築き上げた2人の男」

    井深大は1908年、栃木県に生まれる。測定器会社の設立に参加し、太平洋戦争中に軍事技術の研究会で、海軍技術将校だった盛田昭夫と出会う。盛田は愛知県の造り酒屋の長男として生まれた。2人は親交を深め、井深が設立した会社が苦境に陥ると、盛田は無給で手伝う。1946年、2人は仲間20人と「東京通信工業」を設立。1950 年に日本初のテープレコーダーの開発に成功するが、高価で売れない。技術力だけでは勝てないと悟った盛田は、自身がセールスマンとなり、製品開発は井深に任せることに。小型化したテープレコーダーで会社は1億2千万円の売り上げを達成。世界最小のラジオの開発にも成功する。商標を「SONY」と横文字変更し、アメリカ市場に乗り込むが、当時の日本製品は粗悪品の代名詞で、自社ブランドでの販売は困難を極めた。盛田は経営者自らアメリカに移住して販路を開拓し、トランジスタラジオとマイクロテレビが世界中で大ヒットする。1972年には、米カリフォルニア州にカラーテレビ工場を建設。しかし、州政府が海外企業に不利な税制度を導入する。盛田は先頭に立って抗議し、ソニーや日本企業の窮地を救う。盛田の原点は井深の理想を形にしたいとの思いだった。世界的大ヒットとなったウォークマンも、盛田が井深のアイデアを受け、社内の反対を押し切り、開発にこぎつけた。晩年まで続いた2人の絆はソニー躍進の原動力となり、世界の未来を切り開いた。