田辺茂一(紀伊國屋書店 創業者)

田辺茂一(紀伊國屋書店 創業者)
“日本一働かない社長”“夜の市長”と揶揄される異色の経営者・田辺茂一は、一代で日本最大の書店チェーンとなった「紀伊國屋書店」の創業者であると共に日本の書店の地位を確立した人物。
10歳で出合った洋書がきっかけとなり、21歳で「紀伊國屋書店」をオープン。
独自のアイデアで文化の発信基地となり、1964年に完成した、紀伊國屋ホールを完備する地上9階、地下2階の紀伊國屋書店本店は、書店としては国内最大級の売り場面積を誇り、新宿の街のシンボルとなる。
松原治に会社実務を一任し、夜な夜な飲み歩くなど、典型的な経営者とは一線を画す田辺が唯一こだわった“そこに行けば何かがある”という精神とは?
日本の文化の発展を支えた田辺の波乱万丈の人生を本人のインタビューや関係者の証言と共に紐解く。
  • 2017年6月24日(土)
    「ニッポンの書店王!小さな本屋から文化を創った男」

    1905年、東京・新宿で薪や炭を売る「紀伊國屋」の跡取りとして誕生。
    裕福な家庭で育った田辺は、10歳の時に洋書と出合い本屋になる夢を抱くように。
    1927年、21歳で「紀伊國屋書店」を開業。文芸同人誌を刊行するなど、独自のアイデアが功を奏し支店をオープンするまでに。
    1932年、結婚し3人の子供に恵まれるが、結婚生活は4年で破綻。さらに、作った雑誌も次々と廃刊し失意のどん底に。しかし…終戦後、焼け野原に新たに店を再開。
    1948年、建築家・前川國男の手により売り場面積150坪の新店舗を完成させる。1964年には地上9階、地下2階の巨大ビルに建て替え、カフェや花屋、演劇ホール、人気テナントを呼び込んだ。
    「そこに行けば何かがある」がモットーの田辺が作ったまったく新しい書店は、当時の新宿に集まるエネルギッシュな若者を呼び寄せ、文化発信の基地となっていく。田辺は、新宿を描いた映画に出演したり、日本初と言われるタウンマップの発行責任者も務め、文化の拠点・新宿の発展に大きな影響を与える。一方で経営者としても渋谷や大阪に出店するなど拡大路線を取った。
    1968年には日本の書店として初となる海外出店を決断し、米・サンフランシスコに店をオープン。利益率が低かった書店業界を代表して、力関係で上だった出版業界と交渉する豪腕ぶりを発揮し、以後、両者は対等な関係を築くようになっていく。
    幅広い人脈とバイタリティあふれる行動力で、一代で日本最大の書店チェーンを築き上げた田辺。1980年に社長の座を譲ると、翌年に病でこの世を去る。
    商売とともに文化事業にも尽力した田辺イズムは今に受け継がれ、紀伊國屋書店は書店業界で独自の進化を続けている。