五島慶太(東急電鉄初代社長)

五島慶太(東急電鉄初代社長)
シリーズ「伝説の経営者」、第2弾は、東急電鉄初代社長の五島慶太。
“鉄道王”“強盗慶太”の異名を持つ五島は、不動産やデパート、ホテルなど、220もの会社を有し、売上高総額2兆円以上を誇る「東急グループ」を作り上げた。だが、その主な事業は鉄道を基盤とした「街づくり」。
鉄道院を退官した後、鉄道事業へ参入した五島は武蔵電鉄、荏原鉄道の開通に従事し、確固とした理念の下、鉄道会社の買収を繰り返す。さらに地下鉄敷設にも乗り出し、世に言う「地下鉄戦争」を経て、渋谷~浅草間の直通運転を開始させる。
渋谷や田園調布の開発事業をはじめ、観光、文化、教育事業にも尽力。
類まれな経営手腕で様々な偉業を成し遂げた五島の経営理念を、本人の証言や関係者のインタビューと共に迫る。
  • 2017年5月20日(土)
    「“東京の街”を作った鉄道王」

    1882年、五島は長野県青木村で貧しい農家の次男として生まれる。
    高校教師を経て東京大学へ入り29歳で卒業。その後、鉄道院を退官し、38歳で東急東横線の前身、武蔵電気電鉄の常務取締役に就任。
    ところが、資金調達が難航。しかも妻・万千代を病で亡くし八方塞がりに。そんな中、実業家・渋沢栄一が顧問を務める荏原鉄道から声が掛かり、1922年取締役に就任。
    半年後、田園調布を通る車両5両の小さな鉄道として第一歩を踏み出す。郊外から都心に通うライフスタイルの確立によって乗客数は3年で5万人を突破。この利益で武蔵電鉄を買収し、電車を開通させる。
    さらに地下鉄敷設を目指し、日本の「地下鉄の父」と呼ばれた早川徳次が開通させた浅草~新橋間と直結させようと、新橋~渋谷間の地下鉄開通を考案する。だが早川と激しく対立し、世に言う「地下鉄戦争」が発生。最終的に早川を追放し、1939年に渋谷~浅草間の直通運転を開始させる。一方、乗客を効率よく運ぶため線路を繋げるべく鉄道会社を次々と買収する五島は、「強盗慶太」と揶揄されるように。
    1942年、社名を「東京急行電鉄」に変更。東急グループを作り上げた五島は、鉄道を基盤とした「街づくり」に尽力し、多摩田園都市の開発をはじめ、観光事業などにも注力。後に箱根開発を巡り、西武グループを率いた堤康次郎と、小田急グループの後ろ盾となった五島との「箱根山戦争」は、小説や映画になるほど世間の注目を集めた。バス路線や芦ノ湖の観光船事業を巡り、競争はエスカレート。五島は、その戦い半ばでこの世を去った。
    常に鉄道の未来を見据え、壮大な事業構想を描いた理念は、今の東急グループにも受け継がれている。