大村智(北里大学特別栄誉教授)

大村智(北里大学特別栄誉教授)
2015年にノーベル生理学・医学賞を受賞した大村は、夜間高校の教師となるものの一念発起して研究者の道へ。北里研究所からアメリカに留学後、37歳で自分の研究所を持つ。アメリカの製薬会社と手を組み、土壌の微生物から有用な物質を探し出す大村は、1975年40歳の時に線虫を殺す物質「エバーメクチン」を発見。
その化学構造に手を加え、寄生虫を殺す効果を高めた「イベルメクチン」は、のちにアフリカの途上国に蔓延する寄生虫病「オンコセルカ症」の特効薬として認められ多くの人々を寄生虫から救い、この功績によりーベル生理学・医学賞が贈られる。さらに、財政が悪化した北里研究所のために経営を学び、経営再建に尽力。1989年に、大型総合病院「北里大学メディカルセンター」を完成させる。
今なお「新物質の発見」に取り組む大村の、妻・文子との知られざる夫婦秘話や、“人の真似をしない”という信念の背景にあるもの、そして未来への想いに迫る。
  • 前編(2月26日放送)
    「世紀の大発見で2億人の命を救った男」

    1935年、大村は山梨県で農家を営む家の長男として誕生する。 高校時代はスキーのクロスカントリーに熱中し、化学に触れたのは山梨大学学芸学部自然科学科に入学後。有機化学の実験に夢中になるが、卒業後は夜間クラスの理科教師として働き始める。だが、働きながら勉強に打ち込む生徒を見て、自身も勉強し直すことを決意。東京理科大学の大学院に入り、教師と並行して分子構造の実験を続ける。 山梨大学の恩師を頼って発酵生産学科の助士となった後、北里柴三郎が設立した「北里研究所」で抗生物質の研究員となる。そこで秦藤樹教授の見つけた抗生物質の成分を分離して構造を突き止める日々を送る。 その後、アメリカへ留学し、満足いく研究環境の中で化合物の構造解析を進めるが、秦教授の定年により北里研究室を継ぐことに。アメリカでの研究レベルを日本で維持するために「オオムラ・メゾット」という共同研究の契約方式を考案。アメリカの製薬会社メルクと手を組み、動物薬に注力した大村は、土壌の微生物から有用な物質を探し出す地道な作業を開始する。 1975年、ノーベル賞受賞に繋がる「エバーメクチン」を出す微生物を発見する。

    ☆私の逸品…「フィッシャーのスキー板」。ノーベル賞の受賞祝いに大学時代のスキー仲間からプレゼントされた、有名スキーメーカー「フィッシャー」の名前入り特注スキー板。

  • 後編(3月5日放送)
    「世紀の大発見で2億人の命を救った男」

    1975年、北里大学薬学部の教授だった大村は、のちにノーベル賞受賞に繋がる線虫を殺す物質「エバーメクチン」を発見する。だが、1977年に経営悪化で研究室の閉鎖が決定。何とか存続させるため研究費を自前で賄う独立採算を申し出る。 1978年、「エバーメクチン」の特許が成立し、研究費用の問題から一時解放されるが、今度は北里研究所が作った大学や病院の費用が問題となり、いつ倒産してもおかしくないことが発覚する。そこで大村は、教授職を辞し、北里研究所の理事として副所長に就任。経営を基礎から勉強し、研究所再建のための大胆な改革を次々と実行する。
    1989年、「エバーメクチン」特許料収入で大型総合病院「北里大学メディカルセンター」が完成。当時、日本ではほとんど知られていなかった「ヒーリングアート」を取り入れ、地域に根付いた経営に取り組む。
    1990年、北里研究所の所長となり、2008年には学校法人・北里研究所への統合を成功させる。
    北里大学特別栄誉教授となった現在も「新物質の発見」に取り組み、その信念を次世代へ継承する活動を行っている。


    ☆私の逸品…「鈴木信太郎作『アネモネ』」。大村が最も愛する画家・鈴木信太郎。鈴木の作品の中で初めて手に入れた絵画を自宅に飾っている。