安部修仁(吉野家ホールディングス会長)

安部修仁(吉野家ホールディングス会長)
安部は“ミスター牛丼”の異名を持ち、現在の吉野家の礎を築いたカリスマ経営者。高卒のアルバイトから幹部の強い誘いで正社員になると、初代社長・松田瑞穂の薫陶を受け、めきめきと頭角を現す。1980年には一度は倒産した会社をけん引し、わずか7年で再建を果たす。
42歳の若さで社長に就任後は、BSE(牛海綿状脳症)問題に直面し、タレの風味を大切にする吉野家は看板商品の牛丼の販売休止を決断。その間、新メニューを導入するなど挑戦を続け、吉野家を日本を代表する外食企業へと育て上げる。
異色の経歴を持つ安部のインタビューと共に、“吉野家流”を貫き通したその経営理念に迫る。

※「吉野家」の「吉」は、正しくは「土(下線が長い)に口」になります。
  • 前編(2月12日放送)
    「外食産業のトップランナー 挑戦し続けるDNA」

    1949年、福岡県で豆炭の製造会社を営む家の次男として誕生。ところが、父と兄を病で亡くしてしまう。跡継ぎとして期待されたものの、安部は音楽に夢中になり高校卒業後はプロのミュージシャンを目指して上京。働きながら音楽活動を続ける生活の中で、アルバイト情報誌で見つけた吉野家の面接を受けることに。すぐに採用となり、半年で店長代行を任され、会社から正社員にと誘われる。音楽の夢を捨てきれなかったものの、ある本を読み正社員になることを決意。1972年、正社員となり「築地店」で初代社長の松田瑞穂から徹底的にノウハウを叩き込まれる。23歳で「新宿東店」の店長に抜擢され、実績を上げた後、スーパーバイザーに就任。その後、アメリカでの店舗拡大の準備のため、アメリカに留学するが、1980年に会社が倒産の危機に陥り緊急帰国。会社更生法が適用され、再建への道を歩み始める。1987年には債務を完済し、倒産からわずか7年で再建を果たす。この功績を買われた安部は40歳で常務、そして1992年には42歳で社長に就任するが…。

    ☆私の逸品…「妻から贈られたロケット」。体調を心配した妻がプレゼントしてくれたロケット。常に身に着けている理由とは…。

  • 後編(2月19日放送)
    「外食産業のトップランナー 挑戦し続けるDNA」

    安部は会社再建の功績が買われ、高卒アルバイトから42歳で吉野家の社長に就任。2001年、外食産業の値下げ競争が勃発する中、これまでのディスカウントセールよりさらに50円値引いた「牛丼並盛250円セール」を期間限定で実施する。牛丼が売り切れるという失敗を乗り越え、その年の夏、価格を3割下げた牛丼並盛280円に価格改定し、挑戦を続けた。この年、吉野家ホールディングスは過去最高の営業利益を上げる。しかし、2003年12月にはアメリカでBSE感染牛が検出され、日本ではアメリカからの牛肉輸入を休止、吉野家の本来の牛丼が提供できなくなるならば、と、牛丼の販売を休止することを決断。2004年2月からは、牛丼単品経営だった吉野家が、牛カレー丼、豚丼や後の大ヒット商品の前身である牛鉄鍋膳など新メニューを導入し、何とか半年後には牛丼なしでも黒字を達成することができるように。販売休止から4年、2008年3月にようやく牛丼の24時間販売を再開できた。様々な苦難を乗り越え、日本を代表する外食産業へ吉野家を育て上げた安部は、現在も吉野家ホールディングス会長として精力的に活動を続けている。

    ☆私の逸品…「メッセージビデオ」。社長退任のセレモニーで流された社員たちが作ったメッセージビデオ。社員たちの思いが詰まったメッセージを見返す安部の思いとは?