朝比奈隆(指揮者)

朝比奈隆(指揮者)
文化勲章を授賞し、世界の名だたる交響楽団で指揮を執ってきた日本を代表する指揮者・朝比奈隆。1947年に後の大阪フィルハーモニー交響楽団となる関西交響楽団を設立し、関西初の交響楽団を誕生させる。さらに年末にベートーベンの「交響曲第9番」を演奏し始め、日本に暮れの“第9”を印象付けた人物でもある。
そんな朝比奈の指揮者への道のりと今なお伝説的ライヴといわれるオーストリア・聖フロリアン修道院でのブルックナー「交響曲第7番」をはじめとしたヨーロッパ公演の秘話に迫る。生涯現役を誓い、楽団員から“親方”の愛称で呼ばれた朝比奈の人柄、そして音楽に懸ける熱き情熱を息子の朝比奈千足や現・大阪フィルハーモニー交響楽団の首席指揮者・井上道義のインタビューと共に紹介する。
  • 前編(1月29日放送)
    「交響楽に身を捧げた情熱のマエストロ」

    1908年に東京で生まれた朝比奈は、朝比奈家の養子となるが15歳の時に義父母が他界。朝比奈姓のまま生家の小島家に戻り、兄弟に囲まれた賑やかな生活を送るようになる。いとこが持っていたバイオリンの音色に魅せられ、高校で同級生らとカルテットを結成。ロシア人指揮者、エマヌエル・メッテルが京都大学音楽部の指導者だったことから京都大学への進学を決める。音楽漬けの日々を送るが、卒業後は阪神急行に就職。勤務の傍らバイオリン奏者として活動するものの、音楽への情熱を捨てきれず会社を辞め、京都大学文学部へ学士入学を果たす。在学中にオーケストラの指揮を執り成功を収め、卒業後は大阪音楽学校の教授に就任。1940年に結婚し、その2年後には大阪放送管弦楽団の主席指揮者に。その後、上海や満州で指揮を執り、ハルビン交響楽団で指揮をしている時に終戦を迎える。帰国後、1947年に後の大阪フィルハーモニー交響楽団となる関西交響楽団を設立する。

    ☆私の逸品…リーガロイヤルホテル内にあるバー「リーチバー」。
    大阪フィルハーモニー交響楽団を立ち上げて以降、足しげく通っていたという。カウンター角の席に座り、ドイツの蒸留酒「シェナップス」を頼んでいた朝比奈の人柄をバーテンダーが語る。

  • 後編(2月5日放送)
    「交響楽に身を捧げた情熱のマエストロ」

    1947年、「関西交響楽団」を結成し、朝比奈は常任指揮者・音楽総監督となる。1953年に初のヨーロッパ指揮旅行へ向かった朝比奈は、1956年、ベルリンフィルハーモニー交響楽団、翌年にベルギー国立交響楽団の客演を果たす。1960年、関西交響楽団は「大阪フィルハーモニー交響楽団」に改称。朝比奈の名が世界に轟く中、大阪フィルにも海外公演のオファーが届くように。そして1975年、これまでもブルックナーを取り上げていた朝比奈は、大阪フィルでのヨーロッパ演奏旅行でブルックナーが眠る、オーストリア・聖フロリアン修道院での公演を実現させる。ここでの「交響曲第7番」は伝説的なライヴと謳われ、ヨーロッパ公演は成功。朝比奈は、技術を情熱で補いながらオペラ公演も積極的にこなし、世界的名声を得る。1994年、文化勲章を授賞。しかし、1998年にはガンに侵されていることが発覚する。それでも生涯現役を誓い、2001年に93歳で亡くなる2ヵ月前まで指揮台に立ち続け、音楽への情熱を燃やし続けた。そしてその想いは大阪フィルに今なお受け継がれている。

    ☆私の逸品…大阪フィルハーモニー会館の応接室に置かれている指揮棒が刺さった花瓶で通称「指揮棒の生け花」。それぞれの日付と公演場所が書かれている。