遠藤実(作曲家)

遠藤実(作曲家)
紫綬褒章を受章するなど、歌謡界をリードしてきた作曲家・遠藤実。60年近い作曲家人生で5000曲以上を手掛け、演歌からポップスまで数々の名曲を発表してきた。
遠藤が生み出してきたメロディーの原点にあったのは、貧しさゆえに進学を諦め、歌手になることを夢見た強い思い。新潟から東京へ出て独学で音楽を学び、独自のメロディーを生み出してきた遠藤の作曲家として成功を掴むまでを紹介すると共に、娘や同級生などのインタビューを基に昭和の時代を彩った名曲誕生の秘話に迫る。
  • 前編(12月11日放送)
    「日本人の心をメロディーに変えた作曲家」

    1932年、東京で3人兄弟の次男坊として生まれ育つ。父は定職に就かず貧しい生活が続く中、戦争が勃発し新潟へ疎開することに。進学を諦め、14歳で紡績工場の見習い工として働き始める。ラジオから聴こえてきた歌に救われた遠藤は、歌手に憧れるようになり工場を辞めて地元の楽団に入団。だが、ステージに上がることなく資金難で楽団は解散してしまう。その後、農家に年季奉公に出た遠藤は、歌手になる夢を諦められず17歳で家族に無断で東京へ。日雇いで稼いだお金でギターを買い、飲み屋街で流しを始める。行きつけの食堂で働いていた年上の節子と結婚し、レコード会社のオーディションを受ける日々を送るが結果はいつも不合格。そこで目標を歌手から作曲家へ切り替え、ひたすら独学に明け暮れる。数年後、小さなレコード会社で作曲するチャンスを掴むが芽は出ない。そんな時、新潟を思い作った藤島桓夫の「お月さん今晩は」がヒット。25歳で才能が開花した遠藤は、島倉千代子の「からたち日記」、舟木一夫の「高校三年生」で独自のメロディーを生み出し、人気作曲家の仲間入りを果たす。1964年、新たに立ち上げるレコード会社の経営を打診され引き受けるが…。

    ☆私の逸品…新潟市にある遠藤実の記念館に残されている「紙製のトランク」。両親に無断で新潟から東京に出てきた際に、身の回りの物だけを入れて抱えてきたという。遠藤の夢と希望が詰まったトランクだ。

  • 後編(12月18日放送)
    「日本人の心をメロディーに変えた作曲家」

    1965年、自らの名前を付けたレコード会社「ミノルフォン株式会社」の専務となった遠藤。三船和子や山本リンダを見いだし、内弟子の千昌夫の「星影のワルツ」が250万枚以上の売り上げを記録するなど、演歌からポップスまで多くのヒット曲を誕生させる。1968年、36歳の若さで社長に就任。ところが、遠藤を抜擢した「大平住宅」の総帥・中山幸市が亡くなり、一気に逆風が吹き始める。経営手法に社員が反発し、その混乱を嗅ぎつけた週刊誌に事実無根の記事を書かれたのだ。社長を辞任し、新潟で自分自身を見つめ直した遠藤は、東京へ戻りフリーの作曲家として創作活動を再開。そんなある日、時代劇俳優として活躍していた杉良太郎が曲の依頼にやって来る。元は歌手としてデビューしていた杉の心情に胸を打たれた遠藤は、全身全霊を込めて「すきま風」を書き上げ、杉の代表曲となる。1990年、日本歌謡界をリードしてきた功績が認められ、紫綬褒章を受章。2008年、5000曲以上の楽曲を作り出した遠藤は、多くの人の心に独自の音色を響かせながら76歳で息を引き取る。

    ☆私の逸品…東京・根岸にある和菓子処「花月堂本店」の豆大福。遠藤がこよなく愛したという豆大福にまつわる秘話とは?