名誉碁聖・大竹英雄(囲碁棋士)

名誉碁聖・大竹英雄(囲碁棋士)
「早碁の神様」の異名を持つ囲碁棋士・大竹英雄は、獲得タイトル数48、歴代4位となる通算1273勝を誇り、「名誉碁聖」の称号を得る日本棋院の顧問。だが、そんな大竹が常に意識し続けてきた人物がいる。同い年で「二枚腰」と呼ばれる台湾育ちの囲碁棋士・林海峰だ。獲得タイトル数35、歴代2位の通算1400勝を達成し「名誉天元」の称号に輝くライバルである。
「チク(竹)リン(林)」と呼ばれ、打ち方も性格も対照的な二人。9歳で木谷實に才能を見出された大竹の囲碁人生を追うと共に、伝説的存在の二人の対局にも密着!林とのライバル関係や囲碁界の未来を大竹のインタビューを基に紐解いていく。
  • 前編(11月27日放送)
    「“永遠のライバル”がくれた力」

    1942年、7人兄弟の次男として福岡県八幡市(現在の北九州市)で誕生。父の影響で小学校2年生の時に囲碁を始め、わずか半年で大人と互角に勝負できるまでに腕を上げる。噂を聞きつけやって来たプロ棋士・木谷實に認められ9歳で木谷の18番目の弟子に。故郷を離れ、神奈川県平塚にある木谷の家で弟子や木谷の子供7人と共に暮らし始める。勉強嫌いながらも13歳でプロ入りを果たし、順調に昇段していき1961年、18歳で運命のライバルとなる林海峰と出会う。若手同士を3番勝負させるという企画で、師匠の木谷と両巨頭と言われた呉清源の一番弟子だった林と対局した大竹は、当初不利な状況に陥るが些細なきっかけで勝利を掴み、一躍その名を全国に轟かせる。二人はこの対戦によってライバルとして注目され「チクリン」と呼ばれるように。その後、林は当時囲碁界最強と言われていた坂田栄男の名人戦の挑戦者として名乗りを上げ、7番勝負を4勝2敗で制し23歳で「名人」となる。先を越された大竹だったが自らの碁を極めていき…。

    ☆私の逸品…東京・荻窪「本むら庵」の「せいろそば」。大竹が愛してやまない理由とは?

  • 後編(12月4日放送)
    「“永遠のライバル”がくれた力」

    1965年、ひと足早くライバルである林海峰が「名人」となり、さらに「本因坊」のタイトルも獲得し、囲碁界の主役に躍り出る。一方、美しい勝ち方を求める大竹の碁は「大竹美学」と呼ばれるように。1967年、25歳となった大竹は「日本棋院第一位決定戦」を制し、2年後に「十段位」のタイトルを奪う活躍を見せる。1975年、「名人位」を獲得。林に遅れること10年、ついに33歳で「名人」となる。1977年、名人となって2度目の防衛戦を迎えた大竹は、ライバルの林と対局。世間の関心が高まる中、呆気なく4連敗し名人の座を奪われてしまう。だが翌年、林への挑戦権を得た大竹は、4勝2敗で名人復位を果たす。林がいたからこそ成長できたと語る大竹は、人気を不動のものにしながらも今も囲碁界発展のため尽力し腕を磨いている。

    ☆私の逸品…父・岩雄さんが、大竹の取り上げられた新聞や雑誌の記事などを切り抜き作った「スクラップブック」。手作りの逸品を目前に大竹は思わず…。