西岡常一(宮大工 棟梁)

西岡常一(宮大工 棟梁)
27歳という若さで棟梁として法隆寺大修理を行い、薬師寺金堂や西塔などを再建した宮大工・西岡常一は、鬼と恐れられた伝説の人物。先祖代々、法隆寺の棟梁を務める家に生まれ育ち、祖父から技と心を伝承し、時代に翻弄され病と闘いながらも愚直なまでに木の命にこだわり古代の姿のまま再建することを目指した。研究者も舌を巻くほどの古代建築の知識とスバ抜けた腕前、そして妥協することのない宮大工としての情熱を、家族や弟子のインタビューを基に紹介。1000年の建物を造ることに人生を懸けたその信念に迫る。
  • 前編(10月30日放送)
    「伝説の宮大工!鬼と恐れられた男」

    1908年、法隆寺の棟梁を務めてきた家の長男として誕生する。祖父の強い薦めで農学校へ進学した後、16歳で大工修行を開始。20歳の時に代々伝えられてきた家訓「口伝」を伝えられ腕を上げていった西岡は、1934年に法隆寺の大修理で総棟梁となった父の下、27歳で初めて棟梁を任される。そして同年、結婚。だが大修理に取り組んでいた最中に戦争が勃発し、招集と帰還を繰り返しながら解体修理を行うことに。1945年、終戦を迎え帰国した西岡は、民家の大工仕事には手を付けず、行商などで家族を支える。そんな中、戦争の混乱で中断していた法隆寺の大修理が金堂の全焼によって一気に進展。西岡は、焼けた金堂をヒノキで再建したいと考え、鎌倉時代まで用いられていた道具・ヤリガンナを復元し、ヒノキを仕上げる。ところが鉄材での補強を推す学者グループと対立。1954年、鉄筋の入った法隆寺の大修理は完了する。これに納得できなかった西岡は、代々受け継いできた「愚子見記(ぐしけんき)」を法隆寺に返納し棟梁の座を辞する。1970年、宮大工の仕事はなく自らの衣装を売って生計を立てていたところ、薬師寺金堂の再建依頼が舞い込む。

    ☆私の逸品…酒を飲まなかった西岡は一服の茶を頂く時間が安らぎだった。手製の木箱に入れた西岡愛用の茶道具。息子の太郎さんが思い出を語る。

  • 後編(11月06日放送)
    「伝説の宮大工!鬼と恐れられた男」

    1970年、西岡のもとに薬師寺金堂の再建依頼が舞い込む。1300年前に創建された薬師寺は金堂と東西二つの塔があったが、戦国時代に焼け落ち残ったのは東棟のみで金堂は400年間、仮の建物のままだった。そこで境内に残る同じ様式の東塔の実測調査を行い、唯一の手がかりである寺に残された一冊の古文書を分析。台湾から600トンに及ぶ樹齢千年を超すヒノキを輸送し、ヤリガンナを用いて表面を仕上げ、1973年に木の組み立てに取りかかる。そして1976年、今世紀最大の木造建築である薬師寺金堂が完成。しかし国からの指示もあり、安全のために内部は一部コンクリートが使用される。その後、西塔の再建の際には、鉄筋の構造材を使用せず古代のまま再建できることに。そんな矢先、西岡のガンが発覚。手術を受けた後、療養する間もなく現場へ戻り復元を目指す。1981年、4年の歳月を経て西塔は完成。これにより江戸時代以来450年ぶりに東西両塔が並び建つ。西岡は、ガンと闘いながら回路や大講堂の再建工事を指揮するなど、先人の英知が詰まった建物を現代に甦らせることに尽力。1995年、86歳で息を引き取る。

    ☆私の逸品…西岡の自宅に今も残る「不東」の書。西岡が修復した薬師寺の住職、直筆のもの。三蔵法師が修行に出発するときの決意を表したというが、その意味は…。