大山健太郎(アイリスオーヤマ社長)

大山健太郎(アイリスオーヤマ社長)
創業57年、宮城県・仙台市に本社を構えるアイリスオーヤマの社長・大山健太郎は、19歳で父親の小さなプラスチック工場を継ぎ、一代にして売上高3060億円の企業グループに成長させる。下請けからスタートした大山の工場は、球体ブイを皮切りにプラスチック製の育苗箱やクリア収納ケースなど革命的な商品を次々と生み出し、さらに問屋を通さず小売店に納品するビジネスモデル「メーカーベンダー」も構築。経営者として第一次オイルショック、東日本大震災を経験した大山の波乱の経営人生に迫ると共に中国にある工場にも潜入。人々の生活に寄り添う商品を発表し続けるアイリスオーヤマの“ものづくり”の今を追う。
  • 前編(10月16日放送)
    「不況でも儲かる経営とは?」

    1945年、大阪で8人兄弟の長男として誕生。映画監督を夢見るが、プラスチック工場を経営していた父が42歳でがんを患い、19歳で家族を養うため工員5名の町工場を継ぐことに。どんな仕事も引き受け、不眠不休で働き生活費を稼ぐ日々だったが、このままではダメだと22歳の時に独自商品開発を決意。真珠の養殖に目を付けた大山は、プラスチックで軽くて壊れにくいブイ(浮き)を開発し、自ら業者に売り込み発注に結びつけ、下請けからの脱却に成功する。さらに、田植えの苗を育てるためにプラスチック製の育苗箱を作り大ヒットを飛ばす。1971年、町工場から「大山ブロー工業株式会社」となり、翌年には仙台に工場を新設。他にもプラスチック製の「漬物用の樽」や「塩辛の容器」もヒットとなり事業は順調に拡大。そんな中、1973年に第一次オイルショックが勃発する。プラスチックの原料の原油価格が一気に高騰し、10年かけて築き上げてきた資産をわずか2年で失う。倒産寸前となり、断腸の思いで本社工場を閉鎖し何とか会社を存続させる。そんなある日、どこにどの服を仕舞ったか分からない状況に直面し、“探す収納”をキーワードに「クリア収納ケース」を開発。1989年の正式販売と同時に「クリア収納ケース」は日本の収納文化を塗り替える大ヒットを記録する。ほかにも家庭用園芸ブームを仕掛け、プラスチック植木鉢を作るなど生活に寄り添った商品を生み出し、「生活用品メーカー」として新たな戦いを始める。

    ☆私の逸品…音楽鑑賞が趣味だという大山のお気に入りのスピーカー。

  • 後編(10月23日放送)
    「不況でも儲かる経営とは?」

    オイルショックによる工場封鎖を経験した大山は、二度とリストラを行わないために好不況に影響を受けない仕組みに取り組み、産業界ではなく消費者ビジネスである「生活用品メーカー」を目指す。こうして誕生したプラスチック鉢やプラスチック製犬舎などの商品をホームセンターで販売するように。1991年、社名を「アイリスオーヤマ」に変更。1994年にはアメリカで工場を稼働させ「クリア収納ケース」はアメリカでも浸透し、ヨーロッパをはじめ各国へと広まっていく。一方、1997年に中国・大連に工場を作る。そこで大山が考えたのが、1つの工場で様々な商品をつくる「デパートメントファクトリー」というシステム。移りゆく時代の編階にいち早く対応するシステムとなる。さらに、問屋と通さず小売店に納品する「メーカーベンダー」という流通革命を作り出した大山は、全国9ヵ所に工場を作り大規模な自動倉庫システムを導入。これにより機械が自動で入出庫することが可能となり、一代にして売上高3060億円の企業グループへと成長させる。東日本大震災後は東北復興に力を入れ、人材育成や東北のお米を全国に広めるなど、東北の新たな発展のため挑戦を続けている。

    ☆私の逸品…運動好きの大山も利用する会社内にあるプール。そのこだわりとは?