山下洋輔(ジャズピアニスト)

山下洋輔(ジャズピアニスト)
高校生の時にプロデビューを果たした山下は、以後ジャズミュージシャンとして第一線で活躍。指先だけでなく、肘や拳を使った自由奔放な演奏スタイルで、国内外のジャズミュージシャンはもとより、オーケストラや和太鼓などジャンルにとらわれず様々な音楽を生み出してきた。また、エッセイストとしても数々の著書を出版。山下がジャズと出会い、その魅力に目覚め、才能が開花し、唯一無二のジャズピアニストになっていく様子を世界的指揮者の佐渡裕や田原総一郎のインタビューで語ると共に、山下のステージも取材。新たな挑戦に挑み続ける理由とその素顔に迫る。
  • 前編(8月28日放送)
    「人生は即興だ!」

    1942年、東京都で誕生した山下は、音楽好きの母の影響で物心つく前からピアノを始める。中学3年生の時にジャズバンドを組んでいた兄に誘われ、初めてジャズに触れる。高校では同級生らとジャズバンドを結成。各地を演奏して周る中、3年生の時にクラブから誘いがあり、プロミュージシャンへの第一歩を踏み出す。その一方、2年浪人して国立音楽大学の作曲科に進学し、学生とバンドマンの二足のわらじを履く生活を送る。ミュージシャンとして成長を続ける山下は、日本ジャズ界のパイオニア・渡辺貞夫のバンドメンバーに抜擢され、着々とその名を上げていく。その後、結婚するが肺浸潤となりドクターストップにより二度と演奏できないかもしれない危機を迎える。1年半後、ステージに上がれるまでに回復すると、今までにないジャズを演奏したいと決意。1969年にサックス・中村誠一、ドラム・森山威男と“山下洋輔トリオ”を結成すると、ジャズのコードやテンポなどの常識に捉われず、自由に演奏する新たなジャズ“フリージャズ”で国内外で高い評価を得るようになる。そんな折、早稲田大学の学生運動のバリケード内での演奏を持ち掛けられる。これを快諾した山下は、殺気立つ学生たちがいる中、前代未聞の演奏会を見事成功させる。

    ☆私の逸品…蕎麦好きとしても有名な山下が20年以上通い続けている蕎麦屋「田堀」。 蕎麦の食べ方が事細かに決められているという「田堀」に通い続ける理由とは?

  • 後編(9月4日放送)
    「人生は即興だ!」

    ミュージシャンとして第一線で活躍する傍ら、エッセイを出版するなど表現の幅が広がっていた1973年、燃えているピアノで演奏しないかと奇妙な依頼が舞い込む。ジャズの枠を超え、新たな表現を模索していた山下は、グラフィックデザイナー・粟津潔の自宅の庭に持ち込んだピアノを炎上させながら演奏するパフォーマンスを披露。また、赤塚不二夫や筒井康隆、タモリなど、音楽以外の人たちとの交流も持ち、世の中の常識にとらわれない「ナンセンス」な文化を発信していく。1985年には世界で活躍する和太鼓奏者の林英哲と異色の共演を果たすなど、新しいこと、面白いことに貪欲にチャレンジしていくスタイルを築き上げた。特に山下が熱心に取り組んでいるのがクラシック音楽とのコラボレーション。世界的指揮者・佐渡裕と共演するなど、新境地を切り開いている。またジャズピアニスト、エッセイストに加え、国立音楽大学の招聘教授として授業を行うなど、後進の育成にも力を注ぐ。番組では、クラシックの殿堂・サントリーホールで開催された“山下洋輔スペシャルビッグバンド10周年記念コンサート”にも密着。ドボルザーク「新世界より」をジャズにアレンジした演奏の模様もお届けする。

    ☆私の逸品…友人でもあり、先輩でもある作家・筒井康隆氏よりもらったモンブランの万年筆。筒井の影響は音楽でもはかり知れないものがあるという。その理由とは…?