松本紘(理化学研究所理事長)

松本紘(理化学研究所理事長)
日本唯一の自然科学の総合研究所である理化学研究所で理事長を務める松本は、京都大学在学中に宇宙物理学者の大林辰蔵と出会い、宇宙物理学者への道を歩み始める。大きな転機となったアメリカ留学を経て、世界の若手研究者らが互いに最新技術を発表できる場をイチから作り上げる。京都大学の第25代総長に抜擢されると、大胆な組織改革をはじめとするプロジェクトを次々に打ち出し、200以上の改革を断行。常識に捕らわれることなく、人と人との交流こそが学問を前進させると信じ突き進む松本の実行力と熱意を、本人への取材をはじめ、山中伸弥教授のインタビューなどを通じ紐解いていく。
  • 前編(8月14日放送)
    「日本の科学技術を立て直す“改革者”」

    1942年、中国・河北省で誕生。貧しい環境で育つ中、母から伝授された教科書丸暗記法で常にトップの成績を収め、京都大学の電子工学科へ進学する。大学4年の時に宇宙物理学者の教授・大林辰蔵と出会い、宇宙物理学者を目指すようになり、奨学金で大学院を出て助手の道へ。1967年、中学時代の後輩・倫子と結婚。翌年に双子が誕生するが、長男に脳性小児まひの障害があると判明する。1974年、松本は家族を連れてアメリカの航空宇宙局NASAの研究所へ留学。研究漬けだった日本とは対照的に家族との時間を取ることができた松本は、国際的な視野を養うとともに価値観も大きく広がる。帰国後、宇宙空間のプラズマの動きをスーパーコンピューターで宇宙シミュレーションすることに注目し、アメリカの教授と組んで一定期間世界の若手研究者が集い、最新技術を発表し学べる場を作るための資金集めを開始する。1983年、「宇宙空間シミュレーション国際学校」が開催され、若手研究者の育成とプラズマ研究の発展に大きく貢献する。1987年、京都大学の超高層電波研究センターの教授となり、「宇宙太陽光発電」に取り組み、「無線送電」を成功させる。

    ☆私の逸品…松本が宇宙物理学者を目指すきっかけとなった大林教授の遺品「べっこうのメガネ」。

  • 後編(8月21日放送)
    「日本の科学技術を立て直す“改革者”」

    43歳で京都大学の超高層電波研究センターの教授となった松本は、5年後に超高層電波研究センターのトップに立つ。センター長として研究室の未来を考え、他の研究所と活発に議論を交わすように。そんな折、森林研究を行う木質科学研究所の所長との議論で新たな学問の形を見出し、宇宙科学と森林研究という異質な学問を融合させ生存圏研究所を誕生させる。2004年に初代所長に就任した後、総長から副学長にと声がかかる。国立大学の法人化で財務改革が急務となっており、副学長に就任した松本は、これを改善させるために研究と並行して財務改革に着手。見事、建て直すと京都大学の総長選びで学内投票の1位を獲得する。2008年、第25代総長に就任。横の連携を図るために「学際融合教育研究推進センター」を設立するなど、早急に組織改革を実行に移す。さらに2007年、山中伸弥教授がiPS細胞生成に成功したと知るや、世界で研究競争が始まると察し、研究組織をわずか2ヵ月足らずで立ち上げた他、総長を務めた6年間で200以上の改革を実行。そして2015年、これまでの実績を受けて理化学研究所の理事長に抜擢、現在も理研立て直しに奔走する日々を送る。

    ☆私の逸品…松本が京都大学総長時代にリニューアルした京都大学「楽友会館」。自身も結婚式を行った想い出の場所だという。