秋山庄太郎(写真家)

秋山庄太郎(写真家)
紫綬褒章をはじめ数々の章を受賞し、美を追究し撮り続けた写真家・秋山庄太郎。女性の顔の美しさにこだわり、26歳で写真スタジオを設立するが倒産。プロの道を断念しかけた時に女優・原節子と出会い、原の自宅での撮影をきっかけにカメラマンとして認められるようになる。一灯の明かりで太陽が照らすように陰翳をつけて撮る技法で、多くの女優たちを撮影し売れっ子カメラマンへと成長する。40歳の時に単身フランスへ渡り、帰国後、川端康成や梅原龍三郎など男性のポートレート撮影にも挑戦し成功を収める。その後、新たなライフワークとなる“花”と出会い、様々な技法に挑戦し芸術的な美しさを表現。美を撮影し続けた秋山の原点と美へのこだわりを、秋山の娘や女優たちのインタビューと共に紹介する。
  • 前編(7月31日放送)
    「究極の美に挑み続けた写真家!」

    1920年、東京・神田で誕生した秋山は母子家庭で育つ。中学時代にカメラを始め、叔父に高額なカメラを買ってもらうなど次第に写真にのめり込む。1938年、早稲田大学商学部に入学。この頃、今まで母だと思っていた人が叔母で、伯父が本当の父親であることが判明する。大学では写真クラブに入り、生みの母への憧れを追い求め、女性を主な被写体に活動を開始。そして、女性の美しさを収めた写真集「翳」を自費出版。終戦後、秋山写真工房を設立しプロの写真家となるが売り上げは厳しく、あえなく倒産。プロの道を断念しかけた時に、友人に紹介してもらい映画雑誌に入社する。トップ女優・原節子の撮影が実現するが、撮影するにも大勢の取り巻きがいて思うような撮影が行えない。その後、帰りの電車で偶然一緒になり、原に撮影を直訴。これがきっかけとなり、原の自宅に招待された秋山は無我夢中で撮影を行い、「原節子」番の写真家に。カメラマンとして認められた秋山は、他の女優たちから撮影依頼が殺到し売れっ子カメラマンとなる。ところが1960年、全ての仕事を放り出してしまう…。

    ☆私の逸品…「サンフルーツのグレープフルーツゼリー」。忙しい撮影の合間によく食べていたフルーツゼリー。秋山が好んだ理由とは?

  • 後編(8月7日放送)
    「究極の美に挑み続けた写真家!」

    女性の顔の美しさにこだわり、数々の女優を撮り続け、売れっ子カメラマンとなった秋山。しかし、40歳の時に全ての仕事を放り出し単身フランスへ渡る。そこで様々な芸術家たちと出会い、表現したいものを作っている姿に刺激を受ける。帰国後は男性ポートレートへの挑戦を目指すように。そして1960年代から川端康成や福田赳夫をはじめ、各界名士の男性ポートレートの撮影を開始。素顔を引き出すために煙草を持たせるなど、その人の自然の表情を次々と生み出していく。写真嫌いで有名な日本洋画家界の重鎮・梅原龍三郎の撮影にも成功し、人間の顔にこだわり続けた秋山は肖像写真の第一人者と認められる。そんな中、1965年に花の美しさに心を奪われ、花の撮影をライフワークにして新たな活路を見出す。美しい花をより美しく、そして図鑑的な花ではなく芸術的に表現するために試行錯誤しながら様々な技法に挑戦。しかし2003年、秋山は突然の病に倒れ82歳でこの世を去る。

    ☆私の逸品…花の撮影時に愛用していたカメラ「ペンタックスLX」。花の柔らかなイメージを作るために、あえてぼかして撮っていたという秋山の「ペンタックスLX」へのこだわりを紹介する。