益川敏英(ノーベル賞物理学者)

益川敏英(ノーベル賞物理学者)
2008年にノーベル物理学賞を受賞した益川は、宿題もやらず遊んでばかりの少年だったが、高校時代に見た素粒子物理学の研究者・坂田昌一の科学雑誌がきっかけとなり、名古屋大学理学部に進学。その後、坂田主宰の素粒子論研究室で、のちに共同研究者となる小林誠と出会い、議論を交わす日々を送る。理学博士号を取得後、京都大学理学部の助手となり、そこで生涯の師と仰ぐ坂田の訃報を受ける。坂田の意志を継ぎ、小林と共に宇宙の起源の解明にも繋がる素粒子研究を開始。1973年に“小林・益川理論”を発表。二人の天才が4ヵ月かけて導き出した理論は、科学の進歩に伴い30年以上の時を経て証明される。自分が楽しいと思う事を探求し続ける益川の型破りな生き方を、小林らのインタビューと共に紹介する。
  • 前編(5月22日放送)
    「宇宙の謎を解いた異色のノーベル賞物理学者」

    1940年、名古屋で誕生。益川は子供の頃から遊んでばかりだったが、砂糖問屋を営む父から科学の面白さを教えられる。そして、高校時代に科学雑誌で名古屋大学の教授・坂田昌一が素粒子物理学の分野で世界的な研究をしていると知り、大学進学を夢見るようになる。良き理解者であった父からの反対にもめげず、1度だけの受験を許される。そこで、苦手だった英語を捨て、得意の理数系で勝負し、見事名古屋大学理学部に合格。大学では数学好きの仲間たちと科学の本を読みながら常に議論するように。相手の主張の弱いところを巧みにつく弁舌は仲間内で有名で、「いちゃもんの益川」とも呼ばれた。その後、大学院へ進学し、高校時代からの憧れだった坂田の素粒子論研究室へ入り、卒業後は研究室の助手に。坂田の教授を“先生”と呼ばず、“さん”づけで呼ぶ習わしに加え、 “議論は自由に、研究室では平等”という教えの下、益川は心置きなく研究に没頭。その研究室に、のちに共同研究でノーベル賞を共同で受賞することになる小林誠がやって来る。

    ☆私の逸品…クラシック音楽を愛する益川が最も好きな曲が、ハンガリーの作曲家バルトーク・ベーラの「弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽」。これを聴くと無我の境地になれるという。

  • 後編(5月29日放送)
    「宇宙の謎を解いた異色のノーベル賞物理学者」

    念願だった坂田昌一主宰の素粒子論研究室で助手となった益川は、“議論は自由に、研究室では平等”という坂田の教えの下、5歳年下の小林誠と対等に議論を交わす日々を送る。同じ頃、理学部の職員だった女性と出会い、のちに結婚。1970年、京都大学理学部の助手となるが、同年10月に坂田の早すぎる訃報が届く。益川は坂田の志を継ぎ、宇宙を作り上げる「粒子」を研究テーマに掲げる。1972年、益川は助手としてやって来た小林と共に、究極の粒子=素粒子のグループ「クォーク」の謎に迫る共同研究をスタートさせる。1973年に「小林・益川理論」を発表し、21年後の1994年、高エネルギー加速器による実験で二人の理論の正しさは証明され、世界の素粒子研究は新たな時代を迎える。2008年、益川と小林の功績が認められノーベル物理学賞を受賞。受賞の知らせを受けた記者会見で「たいして嬉しくない」と発言し話題になったが、その真意とは…?益川の探究心は衰えることなく、現在は日本の断層の謎を追究する日々を送っている。

    ☆私の逸品…内ポケットに常に持ち歩いている万年筆。今はフランスの筆記具メーカー・ウォーターマンの万年筆を愛用。ペン先を裏返しにすると極細になり、物理記号につく小さな数字や記号が描きやすいそう。