小椋佳(歌手・作詞作曲家)

小椋佳(歌手・作詞作曲家)
「俺たちの旅」や「愛燦燦」など、数々の国民的名曲を生み出した小椋は、歌謡曲に留まらず、CMや市歌・校歌など幅広い音楽を手掛けている。大学卒業後、銀行員として働いていた小椋は、入社して2年目、劇作家・寺山修司に誘われ歌手としてレコーディングに参加。これを聞いたレコード会社のディレクターに声を掛けられたのがきっかけでレコードデビューを果たす。最初のLPを発表後数年間は全くマスコミに出ることはなく、銀行員と音楽活動を両立させていた。そして、多忙を極める銀行員時代に生まれた「シクラメンのかほり」が日本レコード大賞を受賞するなど、数々の賞も受賞。57歳の時、コンサートツアーの途中、胃がんが見つかるも克服。2014年9月には古希を期して「けり」をつける意味で「生前葬コンサート」を開催。現在も精力的に音楽活動を続ける小椋の知られざる軌跡を追う。
  • 前編(5月1日放送)
    「現代の吟遊詩人!二つの顔の真実」

    小椋佳こと神田紘爾は、1944年に東京で誕生。共に芸事が好きだった両親のもと、歌好きの少年へと成長する。高校に入ると自ら歌を作り始め、その後、東京大学法学部に入学。何とか3年に進級し、勉強のために籠った福島の山村で自然と共生する暮らしに魅せられる。この村の8割以上が小椋姓だったことと、そこに生涯の伴侶となる佳穂里さんが訪ねてきたことから“小椋佳”と名乗るようになる。1967年、日本勧業銀行(現みずほ銀行)へ入行。そして銀行に入社して2年目のある日、劇作家・寺山修司からの誘いで小椋佳の名で歌手としてレコーディングに参加。このレコードを聞いたレコード会社のディレクターに声を掛けられたのがきっかけでレコードデビューを果たす。小椋は、銀行員として働きながら27歳で処女アルバム「青春―砂漠の少年―」を発売。3枚目のアルバム「彷徨」は100万枚を超す大ヒットを記録。世間を騒がせたということで上司から呼び出されるがテレビなどに一切出演しないこと条件に事なきを得る。一方で銀行員としてエリート街道を進む小椋は、海外研修を命じられ、アメリカ・フランスで金融を学ぶことに。その頃日本では小椋の作った「シクラメンのかほり」が日本レコード大賞を受賞する。海外研修を終え帰国予定の小椋に、上司から帰国を止める言葉が…。

    ☆私の逸品…東大時代から通っている喫茶店「ルオー」のカレーライス。実は、さだまさしに提供した「なんということもなく」の歌はここから生まれたという。

  • 中編(5月8日放送)
    「現代の吟遊詩人!二つの顔の真実」

    かつてエリート銀行員と、作詩・作曲家という二足のわらじを履いていた小椋。アルバムが大ヒットすると、上司から作詩・作曲家としての仕事は辞めるように忠告されるが、テレビなどに出ないことを条件に活動を続ける。自身の作品「シクラメンのかほり」が海外研修中に日本レコード大賞を受賞。予定通りの帰国は騒ぎになると、急遽1週間延期し人知れず帰国する。銀行との約束でテレビ・ラジオなどの出演を拒む小椋に対し、一部マスコミや芸能関係者からは非難の声も。そんな時、表舞台に出ないことを条件に作詩・作曲家活動を認めていた会社からコンサート出演を提案され、32歳で小椋佳として初コンサートを開催。銀行員としては、42歳の時、国際財務サービス室の初代室長に就任するなど、出世街道を歩んでいた。今回、小椋の仕事部屋の撮影が許され初めてテレビカメラ入った。多くの名曲を生み出してきたそこには…。

    ☆私の逸品…小学生時代の同級生の父親が営む木工所から50年ほど前に購入した机と椅子。多くの名曲がこの机から生まれ、天板が汚れると自らペンキを塗りなおして使うほど大切にしている。

  • 後編(5月15日放送)
    「現代の吟遊詩人!二つの顔の真実」

    1987年、シンガーソングライターとエリート銀行員という二つの顔をもつ小椋は多忙とはいえ順風満帆な日々を送っていた。ところが、14歳の次男・宏司が若年性脳梗塞となり意識不明の重体に。会社と病院を行き交う生活を続けること数週間、ふと病室で自分が作った曲を口ずさむと…奇跡的に宏司の意識が回復。この時、小椋は歌が持つ力を改めて感じる。一方、銀行員としては1991年、47歳の若さで浜松支店の支店長に抜擢。多くの難題を抱えながらも部下の意見を積極的に取り入れ、1年で開設以来初の業績表彰、さらに事務優良表彰を受ける。ところが49歳で銀行を退職。音楽活動はこれまでと同じように続けながら、東京大学法学部への再入学を果たすため勉学に励み始める。しかし、57歳の時にコンサートツアー中に胃がんが発覚。すぐに手術を行い復帰するが、68歳で肝機能障害を発症。そして病気を克服、70歳で音楽活動に「けり」をつけるため、「生前葬コンサート」を開催し、4日連続で計100曲を歌い切る。そして、72歳となった今でも歌の力を信じ創作の日々は続く…。

    ☆私の逸品…若年性脳梗塞を克服し、現在日本には3人しかいないと言われる琵琶職人となった次男の宏司さんが初めて造った琵琶。
    10年以上乾燥させた桑の木を素材に3ヵ月かけて完成させたその琵琶は、小椋にとって何者にも代え難い宝物となった。