三浦雄一郎(プロスキーヤー・冒険家)

三浦雄一郎(プロスキーヤー・冒険家)
好奇心に導かれて数々の偉業を成し遂げてきた冒険家・三浦雄一郎。子供の頃は体が弱く不登校だったが、スキーの楽しさを知り人生が大きく変化。しかし、オリンピックを目指し始めた最中、日本のスキー界から追放されてしまう。この挫折を経て世界に目を向けた三浦は、日本人初のアルプスでのスピードレースや人類初の挑戦となるエベレスト大斜面のスキー滑降を成功させ、さらに世界7大陸の最高峰すべてをスキー滑降で制覇。しかし、年齢を重ねるにつれ目標を失い、体も限界を迎え、余命3年の宣告を受ける。そこから再び奮起した三浦は70歳でエベレスト登頂を達成。アルピニスト・野口健や家族の証言を基に鉄人・三浦の波乱の人生に迫る。
  • 前編(4月17日放送)
    「“オンリーワン”の冒険家 終わりなき挑戦」

    三浦は1932年、青森市で誕生。父・敬三は山岳スキーの草分け的存在だったが、三浦は子どもの頃から体が小さく病気がちなうえ小学校4年生の時に不登校に。ところがその冬、敬三に連れられて宮城県・蔵王で東北大山岳部の学生らと共に山越えに挑むことになる。冬山縦走をやり遂げた三浦は“冒険”に目覚め、大学ではスキー部で優勝争いを繰り広げるなど活躍。その後、在学中に出会った女性と結婚。大学卒業後、安定した生活を送るが次第に耐えられなくなり、アルペンスキーでオリンピックを目指すことを決意する。しかし、ある出来事から夢を絶たれ、三浦が次に目を付けたのは世界。1964年、アルプスで日本人初となる標高4000mから滑走するスピードレースに挑む。その後、人類史上初めての世界最高峰・エベレストから大斜面を滑降するという挑戦を公表。1970年、資金集めに成功し、標高8000mのエベレスト山頂から大斜面滑降に挑戦するが、パラシュートを開く際に転倒し岩山に激突してしまう。三浦はクレバスに落ちる直前にスキー板一本を使い、奇跡的にこれを阻止。この前人未到の挑戦で三浦の名は世界に轟き、その後も新たな挑戦に挑み続けるが、体は限界を迎えており…。

    ☆私の逸品…1970年に挑戦した人類初のエベレスト滑降の際に、三浦の命を救ったスキー板。転倒した際にクレバスに片方は落ちるが、残った一本が谷底に落ちる三浦を受け止めた。

  • 後編(4月24日放送)
    「“オンリーワン”の冒険家 終わりなき挑戦」

    エベレストでのスキー滑降を成功させた三浦は、他にもキリマンジャロなどでスキー滑降を次々と成功させ、世界7大陸の最高峰を制覇する。1987年に日本プロスキー連盟を設立し会長に就任。ところが暴飲暴食を繰り返した体は限界を迎えており、60歳を過ぎた頃から三浦の体に異変が…。狭心症・不整脈・糖尿病の三浦に宣告された余命は3年。そんな中、父・敬三が99歳でモンブランのスキー滑降を計画していることを知り、奮起した三浦は5年で体を作り直し、70歳でのエベレスト登頂を決意する。早速、自らを律しトレーニングを開始。心臓の負担を軽くするためエベレストの環境に合わせた低酸素室を作るなど、家族の協力のもと20キロの減量にも成功。2003年3月、二男・豪太と共にエベレストに登り始め、2ヵ月かけて最終キャンプ地に到達する。その2日後、頂上へのアタックを開始し登頂開始から9時間後にエベレスト登頂を成功させる。挑戦はこれに留まらず、75歳、80歳のとエベレスト登頂を成し遂げ、世界最高齢記録を更新。さらに、80歳三浦の脅威の身体能力を科学的に分析、エベレストの挑戦を可能にするその秘訣に迫る。三浦は北海道に本校を構える通信制高校を1992年に開校し、校長を務めながら自らの生き方を伝え、生徒たちと向き合っている。

    ☆私の逸品…札幌に来た際に三浦が必ず食するという「和田」のうな重。三浦の元気の秘訣ともいえるうな重の味の秘密とは?