樋口武男(大和ハウス工業・会長)

樋口武男(大和ハウス工業・会長)
1955年に創業し高度経済成長の波に乗り急成長を遂げた大和ハウス工業。ダイワマンが登場するコミカルなCMでもお馴染みです。この会社を率いる会長の樋口武男は創業者・石橋信夫からの絶大な信頼を得て36歳の若さで支店長の抜擢。さらに東京支社建築事業部長、常務取締役、専務取締役と順風満帆な出世街道を駆け上がる。しかし、多額の負債を抱えるグループ会社「大和団地」へ突然の異動。それでも決して腐らず改革を実行し、社員一丸となって危機を乗り切った樋口は、62歳で本社へ戻り、その後代表取締役兼CEOに就任する。従来の住宅事業に加え、農業やスポーツクラブ事業などを展開し、グループ企業は167社。大企業へと成長させた樋口と創業者・石橋の師弟関係を軸にカリスマ的経営者となるまでの苦難の道のりに迫る。
  • 前編(4月3日放送)
    「日本一の住宅メーカーを牽引する男」

    1938年、兵庫県で印刷技術者の父と専業主婦の母の長男として誕生。大学時代のある日、質屋で母の姿を見つけた樋口は、そこで初めて大切な着物を質草に家計を支えていた事を知る。以来、事業家になることを決意し大学卒業後、大阪の中堅商社の営業職に就き、1963年24歳の時に結婚。その年、プレハブ住宅などのヒットで急成長中の「大和ハウス工業」に転職する。懸命に働き続けた樋口は36歳の若さで山口支店の支店長に抜擢。樋口は厳しい指導を行うが社員はついて来ず孤立してしまう。そんな中、大和ハウスの創業者・石橋信夫からの助言を受け、社員一人一人に目を配り共に商談の作戦を練るうちに社員一人あたりの売り上げと利益額で全支店トップに。この業績が認められ、東京支社建築事業部長、常務取締役、53歳で専務取締役に就任し出世街道を駆け上がる。さらに石橋と連携した機構改革や新規事業が次々と成功し、売り上げは8000億円を突破。ところが、石橋から債務超過で倒産寸前となっていたグループ会社・大和団地への異動を命じられる。グループ会社に出て本社に戻った役員はおらず言わば片道切符。樋口の出した答えは…。

    ☆私の逸品…大の肉好きで知られる樋口が通う名店「四季食彩 祇園」。その中でも樋口が最も愛する逸品「すき焼き」を紹介。

  • 後編(4月10日放送)
    「日本一の住宅メーカーを牽引する男」

    創業者・石橋信夫から絶大な信頼を受けていた樋口に告げられた「大和団地」への異動。樋口は大和団地が抱える1400億を超える有利子負債をなくすため、大規模宅地開発から撤退し分譲マンションと木造の分譲住宅にシフトさせる。ところが、成果が出始めた矢先、連帯保証の病院が倒産。この窮地を“I(言い訳をせず)G(ごまかさずに)A(あきらめずに)N(逃げずに)A(明るく)S(スピーディーに)”を逆から読んだ“サナギ”を標語に掲げ、社員一丸となって乗り切り、2年後には黒字化に成功。2001年、大和ハウス工業と大和団地は合併。そして大和ハウス工業の社長に就任する。しかし大和ハウス工業は大企業病に陥っており、樋口は取締役の任期の1年短縮、赤字支店長ボーナスゼロなどの社内改革を開始。2003年、尊敬する石橋が病で死去。翌年、樋口は65歳で代表取締役会長兼CEOに就任する。2006年には売上高1兆5000億円を突破。2011年の東日本大震災では、自ら陣頭指揮を執りグループ全体で1万1000戸を超える仮設住宅を提供する。今年78歳となる樋口は、100周年を迎える2055年に10兆円の企業になるという目標に向かい日々邁進している。

    ☆私の逸品…樋口が薦めるネクタイは高級シルクを使ったパリのネクタイメーカー「ドミニック・フランス」。その魅力と創業者・石橋の形見分けのネクタイを紹介。