君原健二(五輪マラソン銀メダリスト)

君原健二(五輪マラソン銀メダリスト)
東京・メキシコ・ミュンヘンと、3大会連続でオリンピックのマラソンに出場し、メキシコオリンピックで銀メダルを獲得した君原健二。中学生から陸上を始め、八幡製鉄に入社後は強くなるために人一倍努力を重ね、1964年に東京オリンピックの日本代表に選出。しかし、プレッシャーで思うような走りができず8位に終わる。陸上を辞める決意を固めるが、ライバルでもあり同志の円谷幸吉が自殺。円谷の無念を晴らすため、再び走り始めた君原は過酷なトレーニングに耐え、メキシコオリンピックで銀メダルを獲得する。さらに、4年後のミュンヘンでも5位入賞。戦後日本のマラソン界を牽引してきた君原の“努力”と自らが編み出した“マラソン哲学”に迫る。
  • 前編(2月21日放送)
    「走り続ける伝説のランナー オリンピック マラソン銀メダリスト」

    幼少の頃から福岡県・北九州市で暮らしてきた君原は、中学の時に友達の誘いを断れず陸上部に入部。高校卒業後、就職先に困っていたところひょんなことから地元・八幡製鉄から声が掛る。チームのためにひたすら練習に励むようになり、入社2年目には30キロレースで日本最高記録を樹立する。努力は人を強くすると実感した君原は、その後マラソンに挑戦。そこでペース配分の重要性を認識し、マラソン研究を始める。試行錯誤の末、常に一定のペースで走り続ける方法など、自らの“マラソン哲学”を確立し、フルマラソン3戦目で優勝。1964年、東京オリンピックの選考レースで優勝した君原は本大会出場を決めるが、想像以上のプレッシャーに押しつぶされ8位と惨敗してしまう。精神的疲労から陸上部に退部届を提出。ランナーとして一線を退くが、そこへ東京オリンピックで銅メダルを獲得した円谷幸吉がゴール直前で抜かれたことを悔やみ、自ら命を絶ったとの報せが届き…。

  • 後編(2月28日放送)
    「走り続ける伝説のランナー オリンピック マラソン銀メダリスト」

    東京オリンピックでの惨敗後、陸上部に退部届を提出した君原は和子と結婚。疲労困憊だった君原が結婚生活で心が癒された頃、次のオリンピック開催地・メキシコでのランナー実験の依頼が舞い込む。日本陸連が標高の高いメキシコシティへ調査団を送り出すこととなり、日本の役に立てるならと快諾。これがきっかけで復帰した君原のもとに東京オリンピックで銅メダルを獲得し、ライバルだった円谷幸吉自殺の報せが入る。円谷の意志を継ぎ、メキシコオリンピック出場を目指すが、最終選考は大荒れに。最終的にメキシコ遠征の実績が買われ、日本代表の切符を掴む。1968年、メキシコオリンピックが開幕。酸素が薄い高地での走りに有力選手が棄権していく中、君原は自分のペースを守り続け銀メダルを獲得。さらに、4年後のミュンヘンオリンピックでも5位入賞を果たす。32歳で引退するが、74歳となった今でもフルマラソンに挑戦し、走ることを楽しみながらゴールを目指している。