村上信夫(帝国ホテル初代総料理長)

村上信夫(帝国ホテル初代総料理長)
進駐軍マッカーサー司令官、俳優チャップリン、マリリンモンロー…数々の著名人が定宿とした帝国ホテル。戦前・戦後とその厨房で腕を振るい、最高の料理で彼らをもてなしたシェフが村上信夫だ。日本にバイキング形式を確立し、イギリスのエリザベス女王の名前を料理の冠することを許可されるなど、日本のフランス料理に革命を起こした村上は、幼い頃に両親を亡くし、12歳で働き始める。その後、帝国ホテルに入りフランスのホテル・リッツなどヨーロッパ修行へ。帰国後は修行で得た料理の知識を使い、自由な発想で新たなスタイルを次々と考案。さらに東京オリンピック選手村の料理長を経て1969年には帝国ホテルの初代総料理長に就任。努力を重ね、腕を磨き続けた村上の最高の一品を届けることに懸けた熱い想いに迫る。
  • 前編(2月7日放送)
    「日本にフランス料理を広めた男」

    1921年、東京の小さな食堂の長男として誕生した村上は、何不自由ない生活を送るが関東大震災により一気に家計は圧迫。小学5年生の時に両親が結核で立て続けに亡くなり、知り合いの口利きで浅草にあったブラジルコーヒーに小僧で入る。雑用をこなす日々の中でコックを夢見るようになり、帝国ホテルに願書を提出。採用通知が来ぬまま西洋料理店で修業を重ねたある日、村上が働いていた店が帝国ホテルに買い取られることに。夢にまでみた職場で働き始めるが、18歳の村上に与えられた仕事は一番下っ端の鍋磨き。休憩時間も鍋磨きに費やし、ひたすら鍋を磨き続ける村上の熱心な姿勢は先輩シェフたちの心を動かし、鍋に残ったソースを味見する許可が出る。以降、村上は舌で素材の分量を割り出すように。洗い場を1年で免除となった村上は、その後の全ての担当をそれぞれわずか1年でクリア。ところが、1942年に20歳になった村上は戦地へ。終戦後、シベリアでの抑留生活を送った後、1947年に日本へ帰国。再び、帝国ホテルで働くことになるが…。

  • 後編(2月14日放送)
    「日本にフランス料理を広めた男」

    1947年、帝国ホテルに復帰した村上だったが、ホテルは米軍将校の高級宿舎として利用され、アメリカ式の食事を作るだけの日々が続く。しかし、ある日アメリカ人将校が出前したフランス料理のソースが分離しており、先輩コックが手早く直して提供。これをきっかけに、将校は村上たちに調理を頼むようになり、1950年には一般客も利用できるフレンチレストランが復活。さらに、村上は妻と娘を日本残したまま、単身ヨーロッパに料理修行へ。ベルギーやデンマークでの修行に加え、一流シェフへの登竜門、フランスのホテル・リッツで技術を学ぶ。1958年に帰国した村上は、37歳の若さで帝国ホテル第二新館の料理長となり、海外のビュッフェスタイルを日本流にアレンジしたバイキングレストランで提供する料理を考案、大盛況を収める。さらに東京オリンピックの選手村の料理長として腕をふるい、1969年にホテル全体の料理を取り仕切る初代総料理長に就任。その後、日本のみならず世界各国の名だたる料理賞を受賞し、81歳で引退するまで調理場に立ち続ける。