大倉敬一(月桂冠13代目・現相談役)

大倉敬一(月桂冠13代目・現相談役)
1637年創業。清酒メーカー「月桂冠」の13代目当主・大倉敬一は、アルコール飲料の多様化が如実に表れた1978年に51歳で社長に就任。多様化する消費者のニーズに合わせた戦略で新たな酒を販売すると共に国際派である弟・恒彦を会社に招き、海外へ勝負に出る。しかし恒彦が病気で急逝。大倉は、カリフォルニアに「米国月桂冠」を設立し世界中へ輸出先を広げ、トップシェアの座を確保する。日本酒業界が激動の中、トップメーカーの地位を守り、常に業界をリードしてきた大倉の改革への信念と経営手腕に迫る。
  • 前編(1月24日放送)
    「日本酒の未来に命をかけて」

    大倉は1927年、京都に12代続く酒蔵の跡取りとして生まれる。いずれ家業を継ぐことを考えていたが、父から武者修行するようにと第一銀行へ入行。そこで生きた経済を学んだ大倉は29歳で「月桂冠」へ入社する。大阪支店で営業を学ぶ中、30歳で見合い結婚し、入社1年後には本社の製造部へ異動となる。しかし、大倉は酒造りを父や伯父に任せ、昔ながらの家業意識ではこの先立ち行かなくなると、人事・労務の勉強を開始。創業から300年続く社内組織の改革に挑むが、奇しくも日本酒業界の黄金期だった為、早急に改革する必要はないと判断されてしまう。1961年、年間を通して酒造りを行う「四季醸造」が成功。1962年、専務に昇格した大倉は、一度は断念した人事・労務制度改革に乗り出し、総務・経理部門の改革にも挑む。1969年、日本酒米の流通の自由化が認められたことにより、必要なだけ酒を造ることが出来るようになると「月桂冠」は日本酒業界トップの座を不動のものに。しかし、世界的な石油ショックをきっかけに日本経済は低迷。「月桂冠」も創業以来の危機に直面する。

  • 後編(1月31日放送)
    「日本酒の未来に命をかけて」

    日本酒業界の常識を打ち破る「四季醸造」システムや商品を生み出してきた「月桂冠」だが、石油ショックに加えビールやウイスキーなどのアルコール類の台頭により日本酒の販売量は激減。1978年に51歳で社長に就任した大倉は、重要な舵取りを任される。早速、生き残る為に社内の意識改革を開始。新製品開発を急務とし、吟醸酒や純米酒に目を付けた大倉は、最高級クラスの純米大吟醸酒「鳳麟月桂冠」を発表。さらに戦後の原料不足で誕生した「三増酒」を生産中止、これまで出さなかった2級酒を市場に出すなど多様化する消費者のニーズに対応する。さらに、国際市場開拓の為に弟・恒彦を招き、貿易部を新設。しかし、恒彦が病気で急逝してしまう。悲しみに暮れる中、大倉は恒彦が最適の地としたカリフォルニアに「米国月桂冠」を設立。そこでアメリカ産の日本酒を醸造し世界中に輸出するように。大倉の手腕は功を奏し「月桂冠」はトップシェアの座を確保し、その後も地位を守り続ける。1997年に社長を辞任、会長に就任した大倉は様々な公職を引き受け、月桂冠時代と変わらぬ忙しい日々を送る。