勅使河原蒼風(華道家)

勅使河原蒼風(華道家)
華道家・勅使河原久次の長男として生まれ、いけばな三大流派のひとつ「いけばな草月流」の創始者・勅使河原蒼風は、従来のいけばなにはない革新的で独創的ないけばなを推奨。古来のいけばな界からの風当りが強まる中、独自のセンスは話題を呼び海外で個展を開くように。蒼風の感性はいけばなに留まらず、絵画・彫刻・書・オブジェなどに広がりを見せる。1961年には、フランス政府よりレジオン・ドヌール勲章を受章。これまでの概念に捕らわれず、いけばなを国際的な芸術表現にまで高めた蒼風のいけばなに懸けた想いに迫る。
  • 前編(1月10日放送)
    「いけばなを世界に広めた“異色の表現者”」

    1900年、華道家・勅使河原久次の長男として生まれた勅使河原蒼風は、江戸時代から続く華道の跡取りとして5歳の頃から厳しい修行に明け暮れる。しかし、文明開化の中でいけばなが顧みられない現状に強いコンプレックスを抱くように。25歳で父の弟子と結婚。ところが、いけばなを科学的に分析しようとする父に対し、創造的で芸術的なものと主張する蒼風は度々対立し、1927年にはついに父と決裂。自らの流派「草月流」を掲げるが、無名の流派に入門者が来るはずもなく、苦しい日々が続く。それでも貧乏を逆手に取り、「器」を錆びた鉄釜などで代用し、独自のセンスを磨くと共に立体的ないけばなを追究。次第に蒼風のいけばなは評判となり個展を開けるように。しかし、この独自のセンスが話題になればなるほど、いけばな界から中傷が続く。これを払拭する新たな挑戦として、1932年に音楽や照明で会場効果を高める「綜合華」を入場料制で行う。この挑戦は、予想以上に大盛況となるが、戦争により蒼風のいけばなは活動停止を余儀なくされる。

  • 後編(1月17日放送)
    「いけばなを世界に広めた“異色の表現者”」

    音楽や照明などで会場効果を高める「綜合華」で大成功を収めた後、戦争によって活動停止を余儀なくされた蒼風だったが、マッカーサー夫人をはじめとするアメリカ兵の婦人たちの希望によりいけばなを教えることに。高官夫人たちにいけばなを教えながら、活動を再開した蒼風は新たな挑戦を開始。木の根や枯れ木など、これまでに使用しなかった素材を使ったり植物以外のものを素材として作品を発表する。だが、国内ではいけばなどころか彫刻でもないと酷評されてしまう。ところが、1952年にマッカーサー夫人に招かれ参加したインターナショナル・フラワーショーが話題となりヨーロッパ各地で個展を開催するように。そこで画家・サルバドール・ダリと出会い、ダリの自宅に流木のオブジェを制作し交流を深める。蒼風によって、いけばなや木を使った彫刻は世界的な文化へと成長し、草月流の海外会員も増加していく。蒼風の挑戦は絵画や書などに広まり、幅広い活動を晩年まで続ける。