樫尾忠雄(カシオ計算機創業者)

樫尾忠雄(カシオ計算機創業者)
樫尾忠雄は、俊雄・和雄・幸雄の3人の弟の協力によりリレー式計算機を完成させる。1957年、4兄弟で「カシオ計算機」を設立。リレー式計算機は科学技術庁長官賞を受賞し、会社も急成長を遂げる。その後、電子式へと移行し経営危機に陥るが、各社が開発に乗り出した“電卓戦争”での巻き返しにより、1972年に世界初のパーソナル電卓「カシオミニ」を1万円台で発売し、大ヒットを記録。度重なる挫折をものともせず世界へとその名を轟かせた忠雄の4兄弟の絆と物作りに懸ける情熱に迫る。
  • 前編(11月22日放送)

    1917年に高知で生まれた忠雄は、父の仕事に伴い東京へ移り住む。14歳で施盤工の見習いとなり、25歳で独立後、終戦を迎え三鷹で「樫尾製作所」を設立。そこで二男・俊雄が製品のアイデアを出し、忠雄が形にするという兄弟での二人三脚が始まる。1949年には“電動計算機”の開発を始め、三男・和雄、四男・幸雄も工場へ入ることに。試行錯誤の末、4年かけてソレノイド式の電気計算機を完成させるが、連乗機能がなかった為、時代遅れの商品となってしまう。2年後、連乗機能を搭載した試作機が完成。しかし、俊雄の強い希望でソレノイド式ではなく、当時、電話交換機などに使われていたリレー式での再開発に着手する。半年後、見本を披露する発表会で前代未聞のトラブルに見舞われるが、内田洋行との契約が実現し、1957年に4兄弟で「カシオ計算機」を設立。発売されたリレー式計算機は世間を驚嘆させ、会社は設立から5年で年商6億円にまで急成長する。

  • 後編(11月29日放送)

    3人の弟と共に開発したリレー式計算機が爆発的ヒットを記録するが、気を緩めた隙に時代は流れ、リレー式の時代は終焉を迎える。電子計算機へと時代が移る中、販売元の内田洋行の倉庫には大量の在庫が残り、契約は破棄に。忠雄は自宅と土地を担保に在庫を引き取り、電子式が完成するまで在庫を売り経営を乗り切ろうと決意する。1年後、電子計算機が完成し、和雄が営業担当となり販売を開始。カシオは巻き返しを狙うが、集積回路(LSI)の登場で電子計算機の小型化・低価格化が進み、他社を含め“電卓戦争”が始まる。忠雄は、1人1台、電卓を持てる時代を作る為、8桁表示が常識のところを6桁(演算は12桁)で表示する簡素化方式で勝負に出る。1972年、カシオは世界初パーソナル電子計算機として1万円台の「カシオミニ」を発売。発売後1年で100万台を突破し、貴重品だった計算機を庶民に普及させる。その後もカシオはGショックなどを発表し、世界を席巻する。