野村克也(元プロ野球監督)

野村克也(元プロ野球監督)
“ID野球” “野村再生工場”などの言葉で知られる野村は、南海ホークスのテスト生としてプロ生活をスタートさせる。一度は戦力外通告を受けるが、独自の練習法に加えID野球の原点となる己の技術的な限界からデータ分析による攻略法を見いだす。この結果、捕手として初の三冠王など数々の偉業を達成する。1980年に現役を引退。1989年にヤクルトの監督に就任した野村は、選手の考える力を養いID野球を推し進め、念願だった日本一に輝く。阪神、楽天の監督も務めた、野村の野球への飽くなき探究心と名将たる所以に迫る。
  • 前編(11月8日放送)
    「プロ野球に革命を起こした男」

    1935年、京都で誕生した野村は、1954年に南海ホークスのテスト生として入団。しかし、成績不振で入団1年目に戦力外通告を受ける。何とか残留を決めるが、捕手からファーストにコンバートを命じられる。捕手に戻る為、野村は常識に捕らわれない独自の猛特訓を開始し、4年目には捕手として1軍のレギュラーに定着、初のホームラン王に輝く。ところが5年目、6年目とカーブを攻略できず苦しんだ野村は、自分に投じられた球種とコースを記録し、情報分析を行う。このデータから導き出したコースにヤマを張ることで8年連続ホームラン王に輝き、30歳の時に捕手として初の三冠王を獲得する。1970年、35歳で選手兼任監督に就任。他球団で燻っていた投手を獲得し、開花させるなど野村流手腕を発揮するが、日本一には手が届かず。ロッテ、西武に移籍した野村は1980年に現役を引退。その後、野球解説者として人気を博する中、ヤクルトから監督就任のオファーが届く。

  • 後編(11月15日放送)
    「プロ野球に革命を起こした男」

    1980年、引退した野村は野球解説者となり、自らスコアブックを付けるなど猛勉強を開始。そこで指導者としての基礎となる野球論が確立される。そんな中、1989年にヤクルトの監督に就任。野村はBクラスが定位置となっていた選手の意識を変える為、練習後に必ずミーティングを行い、選手に考える姿勢を植え付ける。その上で、現役時代のように膨大なデータを活用するID野球を進める。徐々にID野球が浸透し、就任3年目にはリーグ優勝、翌年にはリーグ連覇に加え日本シリーズを制し、日本一へと輝く。その後、ヤクルトの黄金時代を築き、1999年に鳴り物入りで阪神の監督に就任するが、低迷するチームを立て直せず名監督の評価は一変。ところが、2006年に創設1年目の楽天の監督に就任した野村は、一度は挫折を味わった選手を獲得し、再生させるという手腕を見せ、“野村再生工場”と呼ばれるように。野村の戦術により、史上最弱と呼ばれた楽天は戦えるチームへと成長する。