坂根正弘(コマツ相談役)

坂根正弘(コマツ相談役)
坂根は、国産初のブルドーザーやトラクターを開発した建設機械メーカー・コマツを過去最大の巨額赤字による経営危機から救い、グローバル企業へと成長させる。巨額赤字を抱えた2001年に社長就任後、生産コストの見える化に着手。痛みを伴う改革を実行し、日本企業の強みであるミドルアップ・ミドルダウンから国内回帰へと舵を切る。さらに、建機機械自らが情報を発信するコムトラックスなど、コマツならではの独創的製品を生み出す。わずか1年でおよそ330億円の営業黒字を記録し、800億円の赤字からV字回復を果たす。日本企業の底力を信じ、型破りな経営理念を打ち出した坂根流の経営手腕に迫る。
  • 前編(10月25日放送)
    「ニッポンの力を信じて」

    1941年に広島県で誕生した坂根は、大阪市立大学工学部を卒業後、建設機械メーカー・コマツに入社。坂根の独自視点が評価され、1991年には日米出資会社の立て直しの為、社長としてアメリカに赴任する。この国際経験により2001年、コマツの社長に就任。しかし当時のコマツは建設機械での利益がほとんどない中、多角化路線に走り、創業以来の経営危機に陥っていた。難しい舵取りを任された坂根は、生産コストの“見える化”に着手。国内の生産コストで世界と十分に戦えると踏んだ坂根は、子会社の整理など痛みを伴う改革を決断。苦難を乗り越え世界で戦う基盤を整えた坂根は、過去の国際経験から海外生産に置けるトップダウンの問題点を見抜き、ミドルアップ・ミドルダウンという日本企業の強みを信じ、大胆にも基礎部品の国内一括生産に踏み出す。この国内回帰の結果、2003年には330億円の黒字となり、コマツはV字回復を果たす。

  • 後編(11月1日放送)
    「ニッポンの力を信じて」

    1997年に経営企画室長に就任した坂根は、コマツを世界的企業する為に建機機械自ら居場所や燃料残量などを発信する機能「コムトラックス」の開発をスタートさせる。1999年、実用化されると保守管理や市場の景気動向が即座に掴めるようになるが、導入費がかさみ普及には至らず。これを受けて2001年に坂根が社長就任後は、「コムトラックス」をコマツ全ての建設機械に標準装備させる。これにより、「コムトラックス」は建機に欠かせないツールに成長。坂根はコマツならではの独自性が必要だと感じ、一点に秀でた商品開発に取り組み、ハイブリット油圧ショベルやGPSによるダンプトラックの無人運行システムを開発する。基幹部品の開発・生産を国内統一することで技術力も集約され、コマツは世界の建設機械市場を席巻。さらに、坂根は国内回帰から地方回帰を掲げ、経営合理性から本社機能の一部を創業地・石川県小松市に移転する。国内生産比率は高まり、地方回帰は成功。2013年、会長を退いた坂根は、地方創生をライフワークに活動を続ける。