島野喜三(シマノ現最高顧問)

島野喜三(シマノ現最高顧問)
“ものづくり”に情熱をかけ続け、今や世界トップシェアを誇る日本企業とそのカリスマ経営者に注目。トップに上りつめるまでの苦難の日々と、数々のピンチをどう切り抜け、どう会社・社員を導いていったのか、その独自の経営手腕に迫る。
  • 第3回(10月4日放送)
    「需要は 自ら作り出せ」

    大阪で自転車部品メーカー「島野鐵工所」を創業した父の死後、兄が後を継ぐも赤字が続き、島野は新たな市場を求めアメリカへ。1965年、ニューヨークにシマノを設立するが知名度の低さから苦難の日々が続く。そこで、部品を売るために自ら需要を作ろうと決意し、車で全米の6000に及ぶ小売店を訪問。ここで得たニーズから、遊び心満載の子供用自転車の変速レバーや一般人向けの多段コンポーネントを販売すると、これが大ヒットとなりシマノの名は一気に全米中に広がる。しかし、業績好調の中、1973年のオイルショックで1年分ほどの在庫を抱える事態に。1979年、地道に全米の小売店まわりを続けていた島野は、野山でのちのマウンテンバイク(MTB)である改造自転車と出合う。島野はMTBブームを予見し、需要を自ら作り出す為に泥や水に負けないMTB専用の部品作りを開始。試行錯誤を経て完成したMTB専用部品コンポーネント「デオーレXT」は、島野の読み通りMTBの一大ブームの波に乗り、世界中で爆発的大ヒットを記録する。1995年、兄の後を継ぎ4代目社長に就任。シマノの世界展開は成功を収め、世界的企業へと発展していく。