佐治敬三(サントリー元会長)

佐治敬三(サントリー元会長)
佐治は25歳で実父の寿屋に入社。1946年に発売した「トリスウイスキー」は、斬新な広告も話題となり売り上げを伸ばす。さらに1950年に発売した高級品質の日本製ウイスキー「サントリーオールド」が大ヒットとなり、日本にウイスキーを嗜むスタイルを築く。41歳の若さで社長に就任するとビール事業参入を決め、1963年に社名を「サントリー」に変更し、「サントリービール」を発売。その後、熱処理せず液体の無菌濾過が可能なフィルターを使った瓶詰め生ビール「純生」を完成させ爆発的ヒットに。ウイスキーとビールの二大事業を軌道に乗せ、“これまでにないもの”を探求し続けた佐治の酒造りへの情熱に迫る。
  • 前編(7月26日放送)
    「ニッポンの生活に“彩り”を」

    1919年、佐治はサントリーの前身「寿屋」の創業者・鳥井信治郎の次男として大阪に誕生。小学校卒業後、佐治家の養子となるが、兄の死もあり25歳で実父の寿屋に入社する。佐治は、戦後の貧しさの中、違法な密造酒を飲んで命を落とす人が相次ぐ事に胸を痛め、何とか安くて美味いウイスキーを提供できないかと思案。数十年前にリキュール用の酒から偶然出来上がった、原価の安い“トリスウイスキー”に目を付け、1946年“トリスウイスキー”を復刻発売。その後も、トリスバーやCM・コピー等の斬新な手法で日本国民の生活スタイルを変えると共に、父・信治郎がすべてを注ぎ込んで完成させた高品質の日本製ウイスキー“サントリーオールド”を和食に合わせるという、思いもよらない発想で大ヒットさせた。そして佐治は社長就任と共に、社の方針でもある“やってみなはれ”の精神で、大手3社の寡占状態にあった、ビール事業への参入を決断する。

  • 後編(8月2日放送)
    「ニッポンの生活に“彩り”を」

    佐治は1961年に41歳で社長に就任すると、大手3社がシェアを占めるビール事業への参入を決める。寡占の弊害である画一的な味に一石投じるために、デンマークから日本にはないマイルドですっきりした味わいのビール製法を取り入れる。社名を「サントリー」に変更し1963年“サントリービール”を発売するも、瓶や缶だとどうしても熱処理が必要となり苦戦、赤字経営が続く。店での生ビールの高評価に光明を見出すなか、アメリカで特殊なミクロ・フィルターが開発され大量の液体の無菌濾過が可能に。佐治は1967年、日本で初めて瓶の生ビール“純生”を発売、爆発的人気となる。その後もサントリーは、酒税の在り方に一石を投じる発泡酒を日本で初めて販売するなど、常に“やってみなはれ”の精神で、消費者側に寄り添った商品を発売し続け、2008年ついにシェア3位へと躍り出る。佐治は飲料事業だけに留まらず、「サントリー美術館」「サントリーホール」など日本の文化事業向上にも貢献する。