米沢富美子(慶応大学名誉教授)

米沢富美子(慶応大学名誉教授)
女性科学者が珍しかった時代に、京都大学理学部物理学科に進学。卒業後、日本人初のノーベル賞受賞者・湯川秀樹が所長を務める京都大学基礎物理学研究所で助教授を務める。 その後、1981年に新設された慶応大学物理学科に招聘され、教授に就任。数々の偉業を達成し、1996年には女性初の日本物理学会会長に就任する。 そして2005年、“女性科学者のノーベル賞”と呼ばれる「ロレアルーユネスコ女性科学賞」を受賞。 理系女子のパイオニアとして新たなことに挑み続けた米沢が、日本を代表する物理学者になるまでの光と陰に迫る。
  • 前編(3月19日放送)
    「闘い続けて・・・理系女子のパイオニア」

    1938年に大阪府で生まれた米沢は5歳で父親が戦死。母の影響で数学の楽しさに目覚め、小学5年生の時に実施された知能テストではIQ175を叩き出す。 高校卒業後、京都大学理学部に入学。米沢は、よりよい環境で学ぶために、当時京都大学で教鞭をとっていた日本人初のノーベル賞受賞者・湯川秀樹を訪ね、 様々な助言をもらう。物理の面白さに目覚めた米沢は湯川の下で物理学を学び、大学院へ。1961年に結婚。 5年後に長女を出産し、主婦・母親・研究者の一人三役の日々を送る。出産後、女性研究者として初めて京都大学基礎物理研究所の助手に採用されるが、 新天地で研究に励む米沢に、夫から「勉強している姿を見なくなった。怠けているのでは」と衝撃の言葉をかけられる。 夫の言葉に奮起した米沢は、29歳で画期的な「コヒーレント・ポテンシャル近似」理論を発表し、世界を驚かせる。

  • 後編(3月26日放送)
    「闘い続けて・・・理系女子のパイオニア」

    1984年、3人の娘が手のかからない年齢になり、研究に没頭できる環境が整った米沢だったが、その矢先に乳がんと診断される。 5年生存率がゼロに近い状況のなか、手術を受けて奇跡的にガンを克服する。 1996年に総勢200名、予算7億円、3年がかりプロジェクトをスタートさせるが、その最中、夫が病で死去。 喪失感を抱えながらも研究に邁進し、ついに膨大なデータから一つの法則を導き出し、それを基に“金属・非金属転移の新たなメカニズム”を構築。 しかし、それは名だたる物理学者にも理解できず、米沢は1年かけて世界中、理論を説明してまわり、周囲の理解を得て、1998年に学会で発表。 こうした功績が評価された米沢は、2005年、女性科学者のノーベル賞と言われる「ロレアルーユネスコ女性科学賞」を受賞。 76歳の今でも物理への情熱は衰えることなく続いている。