猪谷千春(国際オリンピック委員会名誉委員)

猪谷千春(国際オリンピック委員会名誉委員)
日本に競技スキーが根付いていなかった幼少期から、父の厳しい指導のもと、スキーの特訓に励み、 1956年、イタリアのコルティナダンペッツォで開かれた冬季オリンピック・スキー回転競技で、銀メダルを獲得。 日本人初の冬季オリンピックメダリストとなる。現役引退後はビジネスの世界へと転身し、成功を収める。 51歳で、IOC委員に就任し、1998年の長野五輪招致に尽力。 その後もオリンピックの仕事に関わり、スポーツの普及とオリンピック精神の認知に努める。 そんな猪谷のオリンピックへの熱い思いに迫る。
  • 第1話(1月22日放送)
    「日本人初の冬季五輪メダリスト」

    1931年、国後島でスキー一家に生まれた猪谷は2歳の時にスキーの才能を父に見出され、スキーの英才教育を施される。 1945年、終戦をむかえ、14歳の猪谷は、手作りの練習用ゲレンデでスキーの練習に励み、独自の技術を習得。 17歳の時に、全日本選手権で初優勝を飾る。1952年、猪谷はオリンピック代表となり、オスロ冬季五輪に出場。 大回転20位、滑降24位、回転11位に終わるが、当時のトップ選手の滑り方が、 自らが手探りで見つけた技術と同じだと知り、自信を持つ。 そして猪谷は4年後のオリンピックを目指し、技術向上のため、スキーが盛んなアメリカに留学する。 1956年、猪谷は2度目の冬季オリンピックに出場。迎えた回転種目当日。 霧が深い、悪条件の中、迷いはなくスタートから全力で飛ばし、銀メダルを獲得。 日本人初の冬季五輪のメダリストとなる。

  • 第2話(1月29日放送)
    「裏側から見たオリンピック」

    27歳で、現役を引退した猪谷は、AIU保険会社に入社。ビジネスマンとしての第2の人生をスタートさせる。 順調にキャリアを重ね、46歳で、「アメリカンホーム保険日本」の社長に就任するが、1982年、竹田恆徳から、自身の後任のIOC委員就任の打診があり、迷った末に受諾する。 1984年、ロサンゼルス五輪が開幕。これを境にオリンピックの商業化が進み、その影響は選手にも波及。 オリンピックで勝つことで、得られる名誉や、報酬が増大し、その結果、ドーピング問題が発生する。 1988年のソウル五輪。前年から理事に昇格した猪谷の元に、ベン・ジョンソンが、禁止薬物を使用の事実が発覚したと、連絡が入る。 IOCは対応について極秘裏に議論し、ベン・ジョンソンの金メダルの剥奪と記録の抹消を決定。これ以降、IOCのドーピングに対する厳しい対処は、徹底されていく。 そして、その後もIOC理事として、オリンピックの仕事に没頭する猪谷に、日本へのオリンピック招致という大仕事が舞い込んでくる。

  • 第3話(2月5日放送)
    「人生をかけたオリンピック招致」

    1988年、長野五輪の招致活動という大仕事が舞い込み、猪谷は招致活動のため、年間200日以上にのぼり30ヵ国以上の世界各国のIOC委員のもとを訪れ、招致活動に奔走する。1991年6月、IOC総会で2位のソルトレイクシティーをわずか4票差で破り、1998年の長野五輪の開催が決定した。さっそく開催の準備を始めた猪谷は、思わぬ問題に直面する。アルペンスキー滑降のコースが環境破壊につながるというのだ。猪谷は開催の2か月前まで徹底的に対応法を検討する。こうして開幕した長野五輪で、日本人選手は10個のメダルを獲得。日本にとって、冬季五輪史上最高の成績を収める。さらに、52億円の黒字を計上、興業的にも成功に終わった。2011年には、東京が2020年のオリンピック開催地に立候補。ルールが変わり、IOC委員が各候補都市を回ることが禁じられていたが、猪谷は可能な範囲で招致活動を行い、見事成功させる。

  • 第4話(2月12日放送)
    「オリンピックが進むべき道とは」

    長野五輪用に作られた「ボブスレー・リュージュパーク」や、スピードスケート会場「エムウェーブ」など、大会後の競技場の維持が、大きな課題となっている。 2020年の開催に向けて準備が進む東京オリンピックも、カヌースラローム競技施設や、メインスタジアムの国立競技場など、会場予定地に関する問題を抱えている。 こうした開催都市にかかる経済的な負担の大きさから、近年、オリンピック開催に立候補する都市も減少傾向にある。 様々な問題を抱えて岐路に立たされるオリンピックだが、猪谷はその力を信じている。 1994年、リレハンメル冬季五輪の際には、当時内戦状態にあったボスニア・ヘルツェゴビナに停戦を呼びかけた。 さらに、この年広島で開かれたアジア大会では、募金活動を行い、長年の紛争を終えて国内に平和が戻ったカンボジアの出場を手助けした。猪谷は83歳となった今も、 オリンピックアカデミーの名誉会長など様々な役職につき、オリンピックを通じ、世界平和を実現する活動を精力的に行っている。