小倉昌男(元ヤマト運輸社長)

鬼塚喜八郎(元アシックス社長)
家庭の主婦の視線に立ち、日本初の宅配便をスタート。当時、誰もが目を疑った型破りのサービスで物流業界に革命を起こし、日本の生活スタイルを変えた、小倉昌男。 自社の利益のためだけではなく、日本の未来のために、そして国民の幸せのためにビジネスを考え成功した、本物の経営者の精神を今に伝えます。
  • 11月27日放送
    「物流を超えたサービスで日本を変えた男(前篇)」

    1924年、東京渋谷区に生まれた小倉は東京大学経済学部卒業後の1948年、父が社長を務める大和運輸に入社。 しかし、まもなく肺結核になり、休職。復帰後は子会社への出向を命じられる。 2年に及ぶ出向を経て、本社に戻った小倉だったが、会社の業績は大きく悪化していた。 1971年、小倉は46歳で社長に就任するが、第一次オイルショックが襲い掛かり、会社は倒産寸前まで追い込まれる。 そんな状況を打破しようとしていた小倉は、ある日、千葉に住む甥に荷物を送る時、手軽に荷物を送れる手段がないことに気付く。 主婦は日ごろ不便な思いをしているに違いない、と考えた小倉は家庭から家庭へと荷物を運ぶサービスの商品化を検討。 経営幹部の全員が赤字を恐れて反対するが、「誰もが、手軽に使えて、心から喜んでもらえるサービスをやろう」と、説得。 1976年、日本初の「宅配便」が産声を上げる。 しかし、初日のわずか11個という取り扱い個数を見た小倉は言葉を失う。

  • 12月4日放送
    「物流を超えたサービスで日本を変えた男(後篇)」

    1976年に始まった宅急便は、出だしこそ苦戦したが、便利さやサービスの良さが広まり、宅急便を始めて5年で採算ラインを超える。 さらに小倉は、設備投資に150億円以上をかけ、「クール宅急便」を実現。 家庭で、新鮮な食料品を取り寄せることが可能になり、日本人の暮らしは大きく変わる。 また、小倉は消費者のニーズに応えようと規制と戦い、国を相手取り、行政訴訟を起こすなど、規制と闘う反骨の経営者としても名を馳せる。 そして62歳の時、小倉は会長に退くが、「日本を変える」ことに取り組み続ける。 障がい者の低賃金に憤りを感じた小倉は東京・銀座にスワンベーカリーを開店。 働いている人の幸せを実現するため、障がい者の給与水準の引き上げに尽力。 現在、厨房では従業員の半数以上の障がい者が働いている。 また、小倉は私財を投じて、「ヤマト福祉財団」を設立。 福祉関係者に経営を学んでもらおうと、自らセミナーを開くなど、亡くなる直前まで、障がい者雇用の固定観念を変えようと戦い続ける。