岡村正(東芝・相談役)

岡村正(東芝・相談役)
東芝相談役・岡村 正、76歳。2000年、日本を代表する巨大電機メーカー・東芝の第14代社長に就任。 この年史上最悪の赤字を出し、存亡の危機を迎えた東芝の舵取りを任され、優れた経営手腕で会社を再生。 さらなる成長への道筋を付ける。社長退任後は、日本商工会議所や東京商工会議所の会頭に就任。 中小企業の発展や地域の活性化に尽力。日本経済の未来のために、76歳の今なお、熱く闘い続ける日本を代表する経済人の一人である。 数々の試練を乗り越え、日本を代表する電機メーカーの改革に乗り出した男の苦悩。 そして混迷する日本経済を救うべく、財界のリーダーとして日夜奮闘する姿に4週に渡って迫る。
  • 第1話(10月16日放送)
    「巨大電機メーカーを救った男」

    1938年、東京・中野に生まれた岡村は、勉学に励み、東京大学法学部に入り、ラグビー部に入部。 この時の経験が、その後の岡村の仕事の礎となる。 1962年、岡村は東芝に入社。計測事業部に配属され、営業を担当。そして33歳の時に岡村は、ウィンスコンシン大学に留学。 帰国後、再び計測事業部に戻り、営業のみならず企画も担当。 1987年、東芝は、新たに「情報処理・制御システム事業本部」を発足。 岡村は業務部長を命じられ、各部門出身の社員を取りまとめ、結果を出す事を求められるが、組織がまとまらず頭を悩ませる。 そこで、岡村はそれまで担当外だった製品の知識を高めるための勉強会を開催。 相互理解を深めることで、次第に組織は一つになっていき、業績を伸ばしていく。

  • 第2話(10月23日放送)
    「社長就任!過去を捨てた“改革”」

    1989年、51歳の岡村は営業推進部長となり、課題となっていた営業部門の強化を任される。 岡村はこれまでの「商品別」営業を改め、一人の担当者があらゆる製品を営業するシステムを提案。 現場から激しい反発が起こるが、岡村は商品別営業からの脱却を推し進める。 2000年、62歳の岡村は、東芝第14代社長に就任。 当初はアメリカのIT企業の台頭で、東芝の業績は絶好調だったが、社長就任から半年後、ITバブルが崩壊。 半導体製品の価格が下落し、東芝は2001年、史上最悪の2540億円にも上る赤字を計上。 岡村は生き残りを賭けて改革に乗り出す。 1980年代、世界一に登り詰めた東芝の半導体事業の中核を担ってきたDRAMから撤退し、半導体の生産拠点である四日市工場でNAND型フラッシュメモリーの量産化を決断。そしてNAND型フラッシュメモリーは現在、世界シェア2位となり、東芝の屋台骨を支える製品となっている。

  • 第3話(10月30日放送)
    「復活から成長へ!電機メーカーからの脱皮」

    東芝の第14代社長に就任した岡村は、その後、史上最悪の赤字を計上した東芝の改革に乗り出し、低迷していた複数の事業をライバル企業と統合。 社長在任中に負債を30%以上削減し、東芝の収益を飛躍的に高める。 2004年、岡村は社会インフラ事業の積極的な海外展開を決断。 株主の猛反対に合うが、岡村は社会インフラ事業の海外展開を断行する。 現在、社会インフラ事業は東芝の最重要ビジネスの一つに成長。 岡村は東芝の新たな柱となるビジネスを作り上げることに成功する。 さらに、岡村はそれまでタブーだった経営陣の改革にも挑み、社外取締役を採用。 そして社長の報酬と後継者を、公の場で決めることにし、経営の透明性を高める。 経営体質の改善と新たな成長戦略が実を結んだ東芝は、3期連続の最終増益を計上。 それを見届けた岡村は、2005年に社長を退任する。

  • 第4話(11月6日放送)
    「日本の未来のために…終りなき闘い」

    2007年、岡村は日本商工会議所の会頭に就任。地域経済の活性化が、日本経済の発展に不可欠と考えた岡村は、全国の商工会議所を精力的に訪問する。 さらに、岡村は中小企業の国際化に取り組み、海外進出を考える中小企業に様々な情報を提供しサポートする「国際展開アドバイザー制度」を創設。120もの中小企業の海外進出を実現させる。 2012年、消費税増税論議が本格化。岡村は会員企業の意見が二分してしまうという難題に直面する。 「日本の未来のためには、税率引き上げは、やむを得ない」との結論に達した岡村は、「日本経済全体の発展が自分達のためにもなる」と、我慢と努力を求めて説得に回り、消費税増税容認に導く。 そして2013年10月、経済界のトップとして6年間日本経済を引っ張ってきた岡村は、日本商工会議所会頭を退任。現在も、日本の未来のために、様々な活動に参加し多忙な日々を送っている。