ニッポンを支えてきたカリスマ経営者が語る“経営のターニングポイント”

ニッポンを支えてきたカリスマ経営者が語る“経営のターニングポイント”


過去に放送し、特に評判の高かった
稲盛和夫、鈴木敏文、堀場雅夫、牛尾治朗。
様々な苦境を乗り越え、日本経済を支えてきた
カリスマ経営者4人の、“経営のターニングポイント”に迫る特別篇。
  • 第1話(2月6日放送)
    「京セラ名誉会長 稲盛和夫」

    鹿児島大学卒業後、松風工業に入社した稲盛は、絶縁体U字ケルシマを特殊なセラミックで開発することに成功。技術者として最初の成功を収めた稲盛だったが、新任の上司と対立。松風工業を退社し、自分の技術を世に問うことを目的に「京都セラミック」、のちの「京セラ」を設立する。会社は順調に増収増益を続けていたが、深夜までの残業が当たり前になっていた現場で若手社員たちが将来の保証を求めた要求書を突きつける。この反乱をきっかけに稲盛は会社設立の目的が間違っていたことに気づき、会社経営とは「全社員の幸福を追求すること」という理念にたどりつく。その後、株価日本一を達成し、京セラを日本屈指の企業に育て上げた稲盛は、DDIを設立。NTTとの価格競争を繰り広げ、電話料金の値下げを実現する。
    そして2010年。稲盛は豊富な経営者としての経験から経営破たんしたJALの再建を託される。「全従業員の物心両面の幸せを追求する」と経営理念を掲げ再建に乗り出すが、社員の会社を経営破たんさせたという自覚のない考え方に憤りを感じ、社員の意識改革を始める。

  • 第2話(2月13日放送)
    「セブン&アイ・ホールディングス代表取締役会長兼CEO 鈴木敏文」

    30歳の時にヨーカ堂に転職した鈴木は、人事課長として人事制度を次々に改革。38歳で取締役に抜擢される。そしてアメリカ視察中にセブン‐イレブンと出会った鈴木はコンビニなら大型店と共存できると持論を展開するが、会社からの猛反対を受ける。しかし顧客のニーズに合った商売をすればコンビニは成功すると信じた鈴木はセブン‐イレブン日本1号店をオープン。2年後には100店舗にまで到達。鈴木はコンビニを定着させることに成功する。
    一方、当時の親会社イトーヨーカ堂は中間決算で、創業以来初の減益に陥り、鈴木はイトーヨーカ堂の立て直しを依頼される。鈴木は、不良在庫の削減を目指し、全社員に「単品管理」を徹底。さらに単品管理の効果を高めるため、POSシステムを導入。不良在庫の削減に効果を発揮し、イトーヨーカ堂の増益に弾みをつける。そして鈴木はこの経営ノウハウを携え、3000億円以上の負債を抱えるセブン‐イレブンの本家、アメリカ・サウスランド社の立て直しに挑むことになる。

  • 第3話(2月20日放送)
    「堀場製作所最高顧問 堀場雅夫」

    1953年に「堀場製作所」を設立した堀場は肺結核患者のために高性能の肺機能分析計を開発。病院からの問い合わせはなかったが、肺機能分析計を使って車の排気ガスを測る実験をしたいと通産省直属の研究所から思いがけない申し入れがある。しかし堀場は他の目的に使用することを良しとせず断るが、一部の社員が独断で排ガス測定装置を開発。それを知った堀場は激怒するが、社員の熱意に押され開発を許可。しかし国内自動車メーカーへの売り込みに失敗。そこで堀場はアメリカ市場に目をつけ、アメリカの大手自動車メーカーへ売り込みをかけ、正式に採用される。その後アメリカに研修に来ていた日本の各自動車メーカーの目にとまり、問い合わせが殺到。今や世界シェア8割の世界的スタンダード製品となる。
    その後、堀場は会社設立25周年の記念式典の場で突然、社長引退を発表。若い世代がベンチャー精神を発揮することが、会社の成長につながると後進に道を譲る。

  • 第4話(2月27日放送)
    「ウシオ電機代表取締役会長 牛尾治朗」

    28歳の時に父が病で死去したのを機に兄が父から継いでいた牛尾工業に入社した牛尾。白熱電球を主力商品として販売する会社の戦略に危機感を抱き、紫外線ランプを中核に据え、リコーとの商談を成功させる。そして牛尾工業に入社して5年。牛尾は注力してきたランプを製造する部門を独立させ、「ウシオ電機」を設立。高度経済成長の波に乗り順調に滑り出すが、最大の取引先であるリコーが経営危機に陥り、ウシオ電機は連鎖倒産の危機を迎える。しかし牛尾はリコーとの取引の継続を決断。リコーは3年で業績を回復し、ウシオ電機は倒産の危機を乗り切る。その頃、ウシオ電機では「ハロゲン・ランプ」の開発に日本で初めて成功するが、初期の商品はトラブルの連続。しかし今度はリコーが自社分の返品代金を肩代わりし、ウシオ電機を助けることになる。そして、この経験から人人とのつながりを大事にすることが牛尾の経営哲学となる。
    その後、ウシオ電機を軌道に乗せた牛尾は「第二次臨時行政調査会」のメンバーとして3公社民営化に尽力。そしてこの時培った人脈が日本経済・未曽有の危機に生かされることになる。

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