野見山暁治(洋画家)

野見山暁治
1920年福岡の炭鉱経営者の長男として生まれる。跡取りを期待されたが絵の道を志して東京美術学校へ進学。しかし戦争で道半ばにして出征。戦地で病に冒されて帰国して終戦を迎える。多くの仲間を失い精神的にも辛い日々を送っていた時に、結婚を機に画業に再び邁進し始める。単身パリで修行をしながら、野見山は現在の作風につながる抽象表現に目覚めていく。ところが1955年、妻の陽子さんを呼び寄せての生活に悲劇が起きる。がんが発覚してまもなく亡くなってしまうのだ。
辛い思いを抱えながらその2年後に完成させた作品「岩上の人」は、新人画家の登竜門となっている安井賞を受賞。斬新な表現が一躍注目を浴びることになった。その後、パリから戻ると東京藝大で教鞭をとりながら精力的に創作活動を続け、やがて業績が認められ文化勲章を受勲し日本を代表する画家として名を成した。101歳の現在も練馬の自宅兼アトリエと、故郷・福岡の唐津湾沿いにかまえたアトリエを往復しながら、ほぼ毎日キャンバスの前に立ち続けている。番組では故郷での創作活動の様子や、母校での美術の特別授業を取材。さらに野見山が設立に大きく係わった、戦没画学生の遺作を展示する美術館「無言館」のエピソードなどを通して、己が信じた道をぶれずに歩み続けている野見山が、今の時代に伝えたいメッセージを浮き彫りにする。