渡文明(JXホールディングス相談役)

渡文明(JXホールディングス相談役)
JXホールディングス相談役の渡文明は1960年に日本石油(当時)に入社。現在、国内でシェアナンバーワンを誇るエネオスを立ち上げた中心人物だ。三菱石油との合併を指揮、1999年に石油元売りで国内首位となる日石三菱を誕生させ、2000年に社長に就任、2002年に社名を新日本石油に変更した。2010年には新日鉱ホールディングスとの大型経営統合に成功、売上11兆円を誇る日本最大の総合エネルギー・資源・素材企業、JXホールディングスを誕生させた。まさにサクセスストーリーを歩んできた渡。しかしその道のりはサラリーマンなら誰もが経験するであろう困難な出来事の連続だったのだ。
  • 第1話(10月17日放送)
    「日本一のエネルギー帝国を築いた男」

    1936年、東京・赤坂に生まれた渡文明は、戦局の悪化に伴い母の田舎の島根県に疎開、田舎暮らしを経験する。戦後東京に戻り、中学・高校は成城学園、そして大学は慶應義塾大学経済学部へ進学する。疎開先で培った探究心は、やがて海外へと向けられ、海外展開に積極的だった石油業界に興味を持った。そして1960年、日本石油に入社、海外勤務に期待を膨らませていた。ところが配属先は新潟。縁もゆかりもない土地の製油所勤務となり、いきなり挫折を味わう。それでも尊敬できる先輩や仲間たちに出会い、前向きに取り組むようになった。ところが、赴任から3年たったある日、渡たちの対応の甘さから、大きなトラブルが発生してしまう。

  • 第2話(10月24日放送)
    「オイルショック!石油業界 動乱の内幕」

    1964年、新潟製油所での4年間の勤務を終え、大阪支社へ異動した渡文明は、かねてからの希望だった販売部門に配属される。そして、社会問題となっていた公害対策と、灯油の販路拡大を進める。ところが渡はこれらのプロジェクトを本社に報告せずに行ったため、渡は本社上層部の逆鱗に触れることになる。しかしいずれも成功を収めたことから、逆に本社から一目置かれる存在となる。1970年にはこれまでの功績が認められ東京本社の販売部に異動。33歳で係長に昇進する。そんな矢先の1973年、第一次オイルショックが発生し、原油価格が暴騰、市民の生活も大混乱となる。そんな中、渡はある事件に巻き込まれる。「石油ヤミカルテル事件」販売部門の最前線にいた渡は、参考人として事情聴取を受けることになる。

  • 第3話(10月31日放送)
    「巨大合併で生き残れ!石油業界再編の嵐」

    「石油ヤミカルテル」事件等で重圧を受けた渡は、その後「劇症肝炎」にかかり、仕事から離脱することに。1978年、同期に遅れること2年、42歳でようやく課長代理、44歳で課長に昇進した。第二次オイルショックを受けた業界再編の中、販売のエキスパートとしてキャリアを重ねた渡は、53歳で販売部の部長になると、業界内での生き残りをかけてサービスステーション改革に動く。特約店オーナーからの猛反対にあいながらも、一軒一軒を回り説得を重ね、新しいサービスステーションを作り上げた。そしてその働きが認められ、渡は55歳で取締役に昇格、その3年後には常務取締役に就任した。そして1999年、中心的人物として三菱石油との大型合併をまとめ上げ、「日石三菱」を誕生させると、翌2000年、社長に就任する。ところが、ここからが茨の道だった。

  • 最終話(11月7日放送)
    「新たな挑戦!エネルギーの未来」

    三菱石油側の反対にあいながらも、日石三菱の社名を「新日本石油」に変更した渡は、水素から作る家庭用燃料電池の開発を進めることに。そして2005年に製品化されると、ガス会社と提携し、2008年に「エネファーム」を誕生させた。さらに、新日本石油の会長となっていた渡は、石油元売り6位のジャパンエナジーを傘下に持つ新日鉱ホールディングスとの大規模経営統合を進めることに。ところが、ジャパンエナジーのシェアは1割で、新日本石油にとっては未知の分野である金属事業を抱える新日鉱ホールディングスとの統合はリスクが大きすぎると、反対する幹部が多くいた。しかし、国際競争を生き抜くためには金属事業を取り込み、会社が生まれ変わる必要があると考えた渡は、経営統合を断行、2010年JXホールディングスが誕生する。その後会長を退任し、経営から身を引いた渡だが、新たな挑戦を始める。

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