松本幸四郎(歌舞伎俳優)

松本幸四郎(歌舞伎俳優)
歌舞伎俳優・九代目松本幸四郎。3歳で初舞台を踏んだ幸四郎は、当たり役である「勧進帳」の弁慶を現役の歌舞伎役者として最多の1100回の上演記録を更新中。ミュージカルや現代劇でも活躍し、1970年には日本人で初めてブロードウェーの主演を果たす。さらに43年にわたり演じ続ける「ラ・マンチャの男」は公演回数1200回を突破。長年の功績が称えられ、去年、文化功労者にも選ばれた。役者として幅広く活躍する松本幸四郎だが、彼の人生には意外な事実があったのだ。
  • 第1話(9月19日放送)
    「定められた人生への反抗」

    1942年、歌舞伎界の名門「高麗屋」の跡継ぎとして生まれた松本幸四郎。3歳で初舞台を踏み、4歳から本格的な稽古を始めた。生まれた時から歌舞伎俳優になる宿命を背負わされた幸四郎だが、厳しい稽古と舞台の毎日に友達もなかなかできず、笑顔を忘れるほど孤独で辛い少年時代を送っていた。そして13歳で映画に出演、歌舞伎以外の活動を始めた幸四郎は歌舞伎俳優を辞めると言いだしたのだ。

  • 第2話(9月26日放送)
    「人気と実力のはざまで…」

    13歳で歌舞伎俳優を辞めると言いだしたものの、舞台での父親の姿に衝撃を受け改心、16歳で演じた「勧進帳」の弁慶役が評判となり、松本幸四郎は一躍歌舞伎界のプリンスとして注目されるようになった。ところが、18歳の時、幸四郎と弟の万之助を皮切りに、父が率いる高麗屋一門らが歌舞伎の興行を取り仕切っていた松竹から東宝へ移籍、歌舞伎界は騒然となる。新たな歌舞伎を作ろうとした父とともに、幸四郎は歌舞伎以外の数々の舞台に出演、高い評価を得るようになる。しかし、周囲の評価とは裏腹に、幸四郎の心は大きく揺れていた。

  • 第3話(10月3日放送)
    「演ずるに迷いなし」

    1969年、27歳の松本幸四郎が挑戦したのは、ミュージカル「ラ・マンチャの男」。それまでに演じてきた陽気なものとは違う重々しい作品に、観客の反応は良くなく、再演はないだろうと思っていた。ところが、ブロードウェーで、しかも日本人初の主演の話がもたらされる。しかし台詞は全て英語。日本で3カ月、そしてニューヨークで1カ月にわたる猛特訓の後、初日を迎えると、舞台は大成功、大きな歓声と拍手に包まれた。だが公演は60回も続く長丁場。幸四郎の体力、精神力は限界ににきていた…。そんな幸四郎を勇気づけたのは、父からの手紙だった。

  • 最終話(10月10日放送)
    「受け継がれる役者の魂」

    ミュージカルで日本人初のブロードウェー主演も務めた松本幸四郎。1997年、55歳の時に新たな演劇集団「シアターナインス」を立ち上げる。売れっ子劇作家・三谷幸喜の脚本による二人芝居「バイ・マイセルフ」。息子・市川染五郎と共演し、評価を得ることとなる。さらに、歌舞伎でも新たな挑戦を続ける。奈良東大寺での歌舞伎の上演。十八番の「勧進帳」は全国47都道府県全てを巡り、現役の歌舞伎俳優として最多となる1100回の公演を達成した。27歳から演じてきた「ラ・マンチャの男」は上演1200回を突破。そして今年9月、36年ぶりの上演となる「不知火検校」で、幸四郎は71歳にして初めての役どころに挑戦している。歌舞伎の名門に生まれ、定められた運命に抗いながらも自ら切り拓いてきた役者の道。71歳の今、後進に伝えたい想いとは…?

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