稲盛和夫(京セラ名誉会長)

稲盛和夫(京セラ名誉会長)
町工場から始まった京セラを、一代で一流企業に育て上げ、“経営の神様”と呼ばれる。新たに立ち上げた第二電電はKDDIへと発展し、NTTを脅かす存在に。そして、経営破綻したJALの会長となり、そのリーダーシップを発揮してきた。いつもゼロから挑戦をし続けてきた稲盛和夫氏のバイタリティの原点はどこにあるのか?本人のインタビューを軸に、これまでの生き様を4回に分けて放送する。
  • 第1話 (4月4日放送)
    「ゼロからの挑戦」

    昭和7年、鹿児島市の印刷業を営む一家の次男として誕生した稲盛だが、昭和20年、空襲で家を失う。そして13歳にして初めての商いを経験する。その後鹿児島大学工学部へ進学し、有機化学を勉強する。しかし、就職は碍子会社・松風工業へ。研究に打ち込み、ブラウン管の絶縁部品として欠かせない「U字ケルシマ」を発明する。ところが、新任の上司と対立し、退社してしまう。そして、昭和34年、稲盛が27歳の時に、7人の仲間とともに、「稲盛和夫の技術を世に問う会社を作ろう」と「京セラ」を設立する。

  • 第2話 (4月11日放送)
    「経験の中で見出した経営の真髄」~京セラ・創業から現在まで~

    27歳で松風工業を退社し仲間とともに「京都セラミック」を創業。技術者だったにもかかわらず、実際の経営は全て任された。経営のことは全く分からなかったため、“人間として正しいかどうか”を経営指針に。昭和41年にはアメリカに進出を果たすなど、日本屈指の企業へ成長。「アメーバ経営」「フィロソフィ」などを生みだす。

  • 第3話 (4月18日放送)
    「動機善なりや、私心なかりしか」~KDDIとJAL~

    京セラは世界的な電子部品メーカーへと成長。稲盛は昭和59年、電気通信事業が自由化されると、京セラでの手持ち資金をベースに、NTTに対抗する第二電電(後のDDI)を設立し、自ら会長となった。昭和62年にはライバルであったKDD、IDOと合併し、KDDIが誕生。現在のauブランドの躍進の礎となった。さらに稲盛は3度目の挑戦として、2010年に経営破綻したJALの名誉会長およびCEOを無給で引き受け、改革に挑んだ。

  • 第4話 (4月25日放送)
    「世のために尽くす~現在の心境~」

    JALを再生させた稲盛は、3月末にJAL会長を退任した。様々な社会貢献活動にも積極的な稲盛だが、今後はどのような人生を送ろうと思っているのか?京セラから始まった激動の人生を振り返り、これから先のビジョンまでを語る。