《 第2回 》 旧古河庭園 東京都

明治の元勲・陸奥宗光の別邸であったこの土地が、古河財閥の所有となり、
古河三代目の虎之助が、本邸にするため隣接した土地を買収し、1917年に家と庭園をつくった。
彼は、その建築と造園を、鹿鳴館を作った著名なイギリス人建築家・ジョサイア・コンドルに託した。
90種類ものバラが春と秋に花を咲かせる洋風庭園と、和室の内装を盛り込んだ洋館。
コンドルは、ただの西洋の建物を作るのではなく、そこに住む人のことを第一に考え、日本の文化を大切にしていたのだ。
このバラが咲き誇る庭の先には、日本庭園がある。
洋風庭園が完成した2年後、虎之助は、日本一の庭師・七代目小川治兵衛にこの日本庭園造りを依頼した。
中央に広がる「心地池」、その周りには「船着石」や「磯浜」、 高さ10mにも及ぶ「大滝」など、七代目治兵衛は水の演出を得意としていた。
また、七代目は、この庭の家相の吉凶にも大変気を配っていた。
彼はこの庭に、虎之助の繁栄の願いを込めたとも言われる。
和と洋が調和する名園、旧古河庭園には、西洋の建築家と日本の庭師という二人の職人の熱き心意気が息づいているのだ。