番組内容
2023年(令和5年)は、昭和歌謡を牽引した作曲家、猪俣公章の没後30年に当たる。 昭和40年代、歌謡界は黄金期を迎えていた。多種多様な音楽が人々の心を捉えていたが、その一方で大きな動きがあった。J-POPが大きなうねりとなり、これまで主流であった演歌を飲み込もうとしていたのだ。こうした中、演歌の砦を守り抜き、多くのヒット曲を放った作曲家がいた。猪俣公章である。♪君こそわが命(水原弘)♪おふくろさん(森進一)♪京都から博多まで(藤圭子)♪噂の女(内山田洋とクール・ファイブ)♪空港(テレサ・テン)♪千曲川(五木ひろし)♪あばれ太鼓(坂本冬美)…。ジャンルを超えて活動する作曲家が多いなか猪俣公章は演歌にこだわり続けた。だが、その演歌は古さを感じさせず、時代にマッチする新しさもあった。猪俣の演歌の原点はいったい何だったのか。また、猪俣はシャイで面倒見がよく、温厚な人柄で知られ、森進一、坂本冬美、マルシアらを育てたことでも知られる。猪俣の人間性とは?
番組は、猪俣公章の歩みとヒット曲誕生秘話に迫る。

昭和13年(1938年)4月11日生 - 平成5年(1993年)6月10日没 享年55
生い立ちと音楽
猪俣公章は福島県会津坂下町の裕福な家で生まれた。音楽との出会いは、幼い頃、母が歌ってくれた子守唄で、毎晩、その歌を聴かないと寝なかったという。中学生になると作曲家を志し、日本大学芸術学部音楽科へ。だがキャバレーでバンド演奏のアルバイトの日々。やがて古賀政男ギター歌謡学院の講師となり、大学卒業後、ビクターレコードの専属作曲家となった。
森進一との出会い
昭和41年、レッスンを担当していた森進一のために作曲した「女のためいき」がヒット。
これが猪俣の出世作にもなった。森進一には独特のハスキーボイスを生かした曲を次々に提供。「港町ブルース」「おふくろさん」など、森の成功を支えた。
水原弘の復活
「黒い花びら」のヒットで知られながら低迷していた水原弘に「君こそわが命」を提供。
「感情を入れすぎないように」と指示する猪俣に対し、水原は不満げであったが、猪俣は臆することはなかった。これが功を奏し「君こそわが命」はミリオンヒットとなった。
藤圭子のデビュー
伝説の歌手、藤圭子のデビュー第2弾「女のブルース」は猪俣の作品。♪女ですもの と、同じフレーズが続く曲作りは、猪俣の戦略に基づいていた。暗さは無く漂う哀愁。「女のブルース」はミリオンヒットとなり、藤圭子はスターへの道を歩いて行く。
テレサ・テンの歌唱力
台湾、香港で活躍していたテレサは、鳴り物入りで日本デビューを果たしたが、アイドル路線でのデビュー曲は不発。そこでスタッフは演歌路線にチェンジし、曲を猪俣に依頼。猪俣が書いた「空港」はテレサの歌唱力を生かし切った作品となり、日本での地位を確立させた。
美空ひばりとの絆
猪俣は美空ひばりにも信頼されていた。昭和45年、日系移民たちを熱狂させたブラジル・サンパウロ公演。ひばりは猪俣が作曲した「別れてもありがとう」を大観衆の前で披露した。
その貴重映像が残されている。
「作詞家・山口洋子」誕生
行きつけの銀座のクラブのママ、山口洋子は文章や詩を書くのが好きだった。それを知った猪俣は山口をレコード会社のディレクターに紹介し、作詞家としてデビューした。「噂の女」(内山田洋とクール・ファイブ)、「千曲川」(五木ひろし)は猪俣と山口の作品である。
坂本冬美 マルシア 育ての親
坂本はNHKの「勝ち抜き歌謡天国」に出演した際、番組内でレッスンをしたことがキッカケでスカウトし内弟子に。マルシアはブラジルで行われたカラオケ大会で見つけ内弟子にした。
だが、猪俣はレッスンをすることはなく、人としての礼儀などを教えた。
紹介予定曲
♪女のためいき(森進一) ♪君こそわが命(水原弘) ♪別れてもありがとう(美空ひばり) ♪港町ブルース(森進一) ♪一度だけなら(野村真樹) ♪女のブルース(藤圭子) ♪噂の女(内山田洋とクール・ファイブ) ♪おふくろさん(森進一) ♪京都から博多まで(藤圭子) ♪おんなの海峡(都はるみ) ♪空港(テレサ・テン) ♪千曲川(五木ひろし) ♪最後の一本(美空ひばり) ♪祝い酒(坂本冬美) ♪ふりむけばヨコハマ(マルシア) ♪あばれ太鼓(坂本冬美) ♪望郷(森進一)
出演予定(インタビュー)

