昭和歌謡の偉人たち~初めての挑戦~【なかにし礼・岩谷時子】
番組からのお知らせ
番組内容
“マルチ才能!”なかにし礼、はじめての作詩と“女流作詞家の第一人者”岩谷時子、はじめての作品
【なかにし礼】
シャンソンの訳詞家から歌謡曲の作詩家に転身。数々のヒット曲で歌謡界に革命を起こしたなかにし礼。 転身のキッカケは、25才の時、新婚旅行で出かけた伊豆のホテルで偶然出会った石原裕次郎のひと言だった。
裕次郎「歌書けるんだったら日本語の歌を書けよ、俺が歌ってるようなやつを」
しばらくして、なかにしは、初めてオリジナルの詩を書き、メロディーも自らつけ、裕次郎の元に届けた。曲は「涙と雨にぬれて」。すると、石原プロ所属の歌手、裕圭子が歌いレコード発売されることになった。
さらに、シャンソン喫茶「銀巴里」で顔見知りだった田代美代子がお祝いにマヒナスターズとカバーしてくれた。
2つのコーラスグループが歌ったことで、なかにし礼のデビュー作、「涙と雨にぬれて」は、総計40万枚の大ヒットとなった。これが、昭和歌謡の革命児の出発点である。なかにしは後年、「僕を歌謡曲に導いてくれた人は石原裕次郎さん、そのものです」と語っている。
【岩谷時子】
大学卒業後、宝塚歌劇団の機関誌の編集長を務めていた岩谷時子は、8歳下の劇団員で15歳の越路吹雪と出会う。2人は意気投合し、岩谷は越路の相談相手となる。越路が宝塚歌劇団を退団して歌手なると岩谷も退職しマネージャーになった。
岩谷に転機が訪れたのは昭和27年9月。日劇のシャンソンショーに出演予定の二葉あき子が喉を痛めて休演することになり、
急遽その代役に越路吹雪が抜擢された。
越路が歌うのは、当時、世界でヒットしていたエディット・ピアフの「愛の讃歌」。だが、ステージで原曲のまま歌うわけにはいかず、急遽、マネージャーの岩谷が訳詞することになった。本番までわずか1日。岩谷は黛敏郎に稽古場でオルガン(ピアノ)を弾いてもらい歌詞を当てはめて行った。新たな歌詞を紡いで行った。タイトルは「愛の讃歌」。
♪あなたの燃える手で あたしを抱きしめて ただふたりだけで 生きていたいの ただ命のかぎり あたしは愛したい 命のかぎりに あなたを愛したい
岩谷の詩は原詞とまったく異なっていたが情熱的な愛の歌として関係者から高く評価され、やがて、越路吹雪の代表曲となった。そして、岩谷もまた、「愛の讃歌」のヒットをキッカケに作詩家としての道を歩き始める。
♪恋の季節/ピンキーとキラーズ
♪恋のバカンス/ザ・ピーナッツ
♪君といつまでも/加山雄三
♪夜明けのうた/岸洋子
♪いいじゃないの幸せならば/佐良直美など
歌謡史に残る名曲は数多い。
名実ともに女流作詞家の第一人者としての地位を築いた。