個人的な思い入れで、ごく気軽に始めた『カディスの赤い星』コンサートも、今回でとうとう4回目を迎えた。
わたしが所持するヴィンテージ・ギターに、本物のプロの演奏を味わわせてやりたい、というのが当初の狙いだった。わたしのような素人が、ときどき爪弾くだけでは宝の持ち腐れで、ギターに対して申し訳ないと思ったのが、きっかけといえた。
案の定、過去3回のコンサートで複数の演奏家によって、今まで弾かれたことのない曲を弾かれ、出したことのない音を出したギターたちは、みごとに生き返った。しかし、それも一年が限度である。そのため、ここにふたたびプロの演奏家の手による、ギター活性化のためのコンサートを、開くことにした。もっとも、演奏家にとってそのような思い入れは、どうでもいいことだろう。楽器がなんであれ、そのときどきの最上の演奏をするのが、プロというものだと思う。そして、今回の出演者もすべてわたしの期待に、十二分に答えてくれる人たちである。
まず、今年で4回連続出演の沖仁さんは、人も知るラメンコギター界の寵児である。昨年夏にスペインで開かれた、〈第5回ニーニョ・リカルド・フラメンコギター国際コンクール〉の国際部門で、日本人として初の優勝を遂げたことは、まだ記憶に新しい。わたしのような、古くからのフラメンコギターの愛好家にとって、このことは信じがたい快挙である。正直なところ、日本人ギタリストがその域に達するとは、夢にも思わなかった。
沖さんは、若さに任せてばりばり弾いた時期もあるが、今では古きよき時代の息吹も身につけ、演奏にますます深みを増してきた。完璧なテクニックと、天性ともいうべき音楽センスがあいまって、その前途には端倪すべからざるものがあり、果てしない地平が広がっている。わたしはただ、沖さんの進む先にあるものを見届けようと、ただ目をこらすしかない。
一方、村治佳織さんは幼くしてデビューしたあと、恐るべきスピードと密度で現在の地位にのぼり詰めた、クラシックギター界の明星である。年は若いが、キャリアの長さからいっても、演奏技術の高さや曲解釈の深さからいっても、ベテランと呼んで差し支えないだろう。しかも、ベテランでありながらそのステージには、いまだに初ういしさがあふれている。わたしにとって、佳織さんは天下第一の美女というより、天下第一の〈美少女〉であり続ける。初めて彼女の演奏に接したとき、とても十代とは思えぬ老練な演奏に、一驚を喫した。目からウロコが落ちるとは、あのときのようなことをいうのだろう。
佳織さんは、音楽家にとって職業病ともいうべき腱鞘炎で、一時演奏活動を休んだことがある。それをみごとに克服して、ふたたび演奏活動に復帰したわけだが、その休止期間のつらさを、毛ほども感じさせなかったところに、プロの根性と自覚を見る。わたしなどは、腱鞘炎とは無関係に指が動かなくなったが、それを練習によって克服しようという、強い意欲に欠ける。その点だけを見ても、プロと素人の差は歴然としている。
自慢ではないが、フラメンコとクラシックのギターのトップが、こうして一つステージに立つ演奏会というものは、めったに実現できる企画ではない。二人の共演は、第1回のときに続いて二度目だが、その成長ぶりを存分に味わっていただきたい、と思う。
わたしが所持するヴィンテージ・ギターに、本物のプロの演奏を味わわせてやりたい、というのが当初の狙いだった。わたしのような素人が、ときどき爪弾くだけでは宝の持ち腐れで、ギターに対して申し訳ないと思ったのが、きっかけといえた。
案の定、過去3回のコンサートで複数の演奏家によって、今まで弾かれたことのない曲を弾かれ、出したことのない音を出したギターたちは、みごとに生き返った。しかし、それも一年が限度である。そのため、ここにふたたびプロの演奏家の手による、ギター活性化のためのコンサートを、開くことにした。もっとも、演奏家にとってそのような思い入れは、どうでもいいことだろう。楽器がなんであれ、そのときどきの最上の演奏をするのが、プロというものだと思う。そして、今回の出演者もすべてわたしの期待に、十二分に答えてくれる人たちである。
まず、今年で4回連続出演の沖仁さんは、人も知るラメンコギター界の寵児である。昨年夏にスペインで開かれた、〈第5回ニーニョ・リカルド・フラメンコギター国際コンクール〉の国際部門で、日本人として初の優勝を遂げたことは、まだ記憶に新しい。わたしのような、古くからのフラメンコギターの愛好家にとって、このことは信じがたい快挙である。正直なところ、日本人ギタリストがその域に達するとは、夢にも思わなかった。
沖さんは、若さに任せてばりばり弾いた時期もあるが、今では古きよき時代の息吹も身につけ、演奏にますます深みを増してきた。完璧なテクニックと、天性ともいうべき音楽センスがあいまって、その前途には端倪すべからざるものがあり、果てしない地平が広がっている。わたしはただ、沖さんの進む先にあるものを見届けようと、ただ目をこらすしかない。
一方、村治佳織さんは幼くしてデビューしたあと、恐るべきスピードと密度で現在の地位にのぼり詰めた、クラシックギター界の明星である。年は若いが、キャリアの長さからいっても、演奏技術の高さや曲解釈の深さからいっても、ベテランと呼んで差し支えないだろう。しかも、ベテランでありながらそのステージには、いまだに初ういしさがあふれている。わたしにとって、佳織さんは天下第一の美女というより、天下第一の〈美少女〉であり続ける。初めて彼女の演奏に接したとき、とても十代とは思えぬ老練な演奏に、一驚を喫した。目からウロコが落ちるとは、あのときのようなことをいうのだろう。
佳織さんは、音楽家にとって職業病ともいうべき腱鞘炎で、一時演奏活動を休んだことがある。それをみごとに克服して、ふたたび演奏活動に復帰したわけだが、その休止期間のつらさを、毛ほども感じさせなかったところに、プロの根性と自覚を見る。わたしなどは、腱鞘炎とは無関係に指が動かなくなったが、それを練習によって克服しようという、強い意欲に欠ける。その点だけを見ても、プロと素人の差は歴然としている。
自慢ではないが、フラメンコとクラシックのギターのトップが、こうして一つステージに立つ演奏会というものは、めったに実現できる企画ではない。二人の共演は、第1回のときに続いて二度目だが、その成長ぶりを存分に味わっていただきたい、と思う。






