昭和歌謡 不滅のヒット曲誕生秘話 パート3
番組内容
今も多くの人に歌い継がれる昭和歌謡のヒット曲。
人にドラマがあるように歌にも私たちが知らないドラマがある。
歌謡曲の黄金期、昭和という時代に人々を魅了したヒット曲はどのようにして誕生したのか、秘められたエピソードに迫るシリーズ。
今回は、藤圭子・八代亜紀・芹洋子を取り上げる。
ドスの利いた声と可憐な風貌のギャップが印象的な藤圭子。
昭和45年発売の「圭子の夢は夜ひらく」はオリコンシングルチャート10週連続1位を獲得。
藤の薄幸の少女のイメージを決定づける裏にはスタッフ達の用意周到な戦略があった!
初めての阿久悠作品である「京都から博多まで」はそれまでのイメージから大人の女性に変身させることを企画して作られた曲。
父親の大反対を押し切り上京し、クラブ歌手から転身した八代亜紀。
当初ヒットに恵まれなかった八代の初の大ヒット曲となった「なみだ恋」。
そして初めて男歌に挑戦した「舟唄」は、スポーツ誌の連載記事から誕生した。
さらに“演歌の女王”と称されることになった「雨の慕情」もまた、「舟唄」と同じ作詞作曲家コンビ阿久悠、浜圭介の作品。
この曲で日本レコード大賞受賞する。
唱歌・抒情歌を代表する歌い手・芹洋子。
観客の一人から渡された譜面、それが代表曲となる「四季の歌」であった。
大きな交通事故からの復帰コンサートで「四季の歌」の歌唱中に思わぬ出来事が!
そして、紅白歌合戦で歌った「坊がつる讃歌」。
その出会いは、フォークミュージシャンが集った阿蘇山麓のコンサートだった。
八代亜紀と芹洋子へのインタビュー取材とともに作詞家、作曲家、ディレクターなど関係者の証言や資料をもとに誰もが口ずさんだ昭和のヒット曲誕生秘話を紹介してゆく。