日経スペシャル 私の履歴書 ―特別編―

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9月27日(土) 夜9時再放送
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ナビゲーター

長谷川博巳
長谷川博己

解説

本人のインタビューを軸に当時の世相を盛り込みつつ、
一人の人間の波乱に満ちた人生を紐解いていく「私の履歴書」。
今回は特別篇として日本を支え、彩ってきた5人の偉人が幾多の困難を乗り越えてきた道のりを紹介。今は亡き彼らが残した言葉から、長らく苦境にあえぐニッポン復活の術を探ります。

内容

本田宗一郎◆本田宗一郎 「失敗のないところに成功はない」
22歳の時、郷里の浜松で自動車修理工場を開業した本田は、6年後には自動車などの部品を製造する会社を設立。社員千人を抱えるまでに成長する。しかし、1945年。空襲や大地震で工場が全壊。それまで築きあげたものを全て失ってしまう。その後、何もせずにただ1日を過ごす本田だったが友人の家で軍が使用していた小型エンジンを発見。それを自転車に取り付け「エンジン付き自転車」として販売すると飛ぶように売れる。気を良くした本田は、オリジナルエンジンの開発を決意。しかし当時の工業機器の精度や材料では生産できず断念する。そしてこの失敗をバネに本田は後の、オートバイエンジンの基礎となるA型エンジンの開発・製造に成功。これを機に、1948年、本田技研工業を設立。その翌年に初のホンダ製オートバイが完成する。ドリーム号と名付けて売り出したオートバイは大ヒット。この経験から本田宗一郎の経営の原点となる「失敗のないところに成功はない」という言葉が生まれる。失敗の中からこそ、明日の技術が生まれてくることを本田は確信する。

井深大◆井深大 「未来は自分自身の手で作り出すことに意味がある」
早稲田大学理工学部で電気工学を学んだ井深は、無声映画に音声をつけるトーキーの会社に入社。その後、いくつかの会社を渡り歩き、技術者として軍事用の熱戦探知機などの開発に励む。1946年、37歳の井深は、ソニーの前身となる「東京通信研究所」を仲間と設立。電気炊飯器や電熱マットなどすぐに売れそうな物ばかりを製造するが、失敗を重ね資金繰りに明け暮れる日々が続く。そんな中、井深は出入りしていたNHKでアメリカ製のテープレコーダーを目にする。「音を録音して楽しむ生活を広めたい」と思った井深は日本初となるテープレコーダーの開発を開始。特にテープの製作は困難を極め、試行錯誤を繰り返すが、1年後に完成。当初は大卒サラリーマンの初任給のおよそ40倍という値段だったが、改良を重ね価格を半分まで下げた結果、驚くように売れ始め、発売から4年後には全国の3分の1以上の小学校で導入される。誰もが、音を録音して楽しむ社会を作りたい。井深が思い描いた未来が始まろうとしていた。そして、井深大の経営哲学となる「未来は自分自身の手で作り出すことに意味がある」という言葉が生まれることとなる。その後も井深は次々に斬新な製品を製造。新たな未来を生み出していく。

杉村春子◆杉村春子 「つらい時こそ、人は心の贅沢を求める」
1906年、広島市に生まれた杉村は芝居好きの両親に歌舞伎や歌劇につれられるうちに芝居の世界に憧れるようになる。女学校を卒業するとオペラ歌手を目指し、音楽学校を受験するが、2年連続で不合格。強い未練を抱きつつ広島の学校で音楽の臨時職員となる。そんな時、東京から「築地小劇場」という新劇の劇団がやってくる。その舞台を見て感動した杉村は新劇の女優になろうと決意。研究生となる。以来、小さいながらも役をこなしていき、経験を積んでいく。1937年、新劇界の錚々たる劇作家や演出家が文学座を発足。杉村は旗揚げ公演から参加する。優れた劇作家の指導のもと、豊かな感情表現を身に付け34歳で初めて主役の座を獲得。そして新進気鋭の劇作家・森本薫が杉村の実力を認め、「女の一生」を書き下ろし、東京大空襲の爆撃を逃れた渋谷の映画館で開幕を迎える。いつ空襲が始まるかもしれない中での舞台初日。どれほどの観客が来てくれるのか、不安の中で開幕するが、客席はたちまち満員。そしてこの時、「つらい時こそ、人は心の贅沢を求める」杉村の女優人生を支える言葉が生まれる。つらい時こそ、人は芝居を楽しみ、つらい事を忘れようとしている。だからどんな時でも演じ続けねばならないと杉村は心に誓う。

井上靖◆井上靖 「命をかける価値があるのは自分を表現することだけだ」
京都大学・哲学科に入学した井上は文学に目覚め、雑誌の懸賞小説に応募。サンデー毎日で賞を受ける。しかしこの時まだ小説家で生計を立てるつもりのなかった井上は、京都大学卒業後に大阪毎日新聞社に入社するが、翌年に日中戦争が勃発。井上は徴兵され戦地へと赴くが、脚気になり帰国することになる。帰国後、学芸部に配属された井上は取材のために奈良の神社・仏閣を巡っているうちに、古い文化に触れることが生きがいとなる。しかし戦況の悪化と共に文化や芸術に関する記事は紙面から消え、井上は唯一の生きがいを奪われてしまう。そして終戦。井上は、自分にはまだ生きられる人生が残されていると思った時、小説家・井上靖の原動力となる言葉が生まれる。「命をかける価値があるのは自分を表現することだけだ」。そして井上は残された人生は、自分が好きなものを突き詰めようと、文学に打ち込み始める。

川上哲治 ◆川上哲治 「自分で掴んだものは強い」
少年野球の九州大会で優勝するなど幼い頃から才能の片鱗を見せていた川上は、旧制中学野球部に進み、甲子園に出場。投打に活躍し準優勝を果たし、巨人にピッチャーとして入団する。しかし間もなく肘を負傷し、打者に転向。プロ入り2年目に首位打者を獲得する。1950年、川上はこれまで経験のなかった大スランプに陥る。立ち直るきっかけを掴もうと夜は枕元でバットを振り、さらにシーズン中にも関わらず多摩川グランドまで出向き連日打ち込みを行う。バッティングピッチャーを相手に一心不乱にバットを振り続ける内に、川上は構えて足を踏み出した瞬間にボールが止まって見えるようになる。川上の打撃が開眼された瞬間だった。それを体に覚えさせようと川上はさらにボールを打ち続け、「自分で掴んだものは強い」という川上の人生哲学となる言葉が生まれる。その後、6年連続で打率3割を達成し、首位打者を3回獲得。1956年にはプロ野球史上初の2000本安打を達成。打撃の神様と呼ばれるまでになる。

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