50周年記念公演で選ばれた
「ANOTHER RAINBOW」
震災直後10ヶ月もの間、絆キャラバンを続け、
休館を強いられながらも被災地のみならず全国各地を回り、
福島の復興を目指して笑顔で舞い続けてきたフラガール達。
そんな彼女達の50周年の記念公演を追う!
日々の舞台を終え、公演の練習は連日午前2時まで続く。
公演当日。直前まで、杖をつきながら、
懸命に指示を出す振付師・早川和子さんの姿が。
実は今年、早川さんは大腿骨を骨折し入院。50年という重み、フクシマ、そしてハワイへの想いを胸に、
リハビリ中の身を押しての記念公演だった。
何故、彼女はこの曲を選んだのか?そして何故、
リーダー的存在であるメンバー達に、この唄を託したのか?
「ANOTHER RAINBOW」の舞いが
披露された事を知った関口。
およそ25年間通い続けたハワイへと向かっていった。
~関口和之のアロハのこころ~
関口が主宰して6年目“ウクレレピクニックinハワイ”とは
ハワイと日本のミュージシャン達の競演、多くの音楽ファンが集結する音楽祭も今年で6年目。
平和、友愛、家族愛というハワイの音楽の根底にあるアロハスピリッツを掲げてきたのが関口だった。
潮の香りを感じながら、朝から夕暮れまでを小高い丘に設営されたステージで、
のんびりと音楽を聴きながら思い思いの時間を楽しむ音楽祭のきっかけとは何だったのか?
ハワイに到着し、関口がまず向かったのは花屋だった。
そこでレイを購入し毎年会場となるカカアコ・ウォーターフロントパークへ。
何故、彼は音楽祭の舞台にある慰霊碑に献花するのか?
2001年2月にアメリカ合衆国ハワイ州のオアフ島沖でおきた、えひめ丸の事故を悼み、
行動したハワイの人々の心と日本の人々の交流に、双方を知る関口は感銘を受け、
音楽家として出来る事は何か?を問い続けた。
そして、互いの想いをアロハの心で結ぼうと始めたウクレレピクニックinハワイ
日本とハワイの人々の架け橋になればと始められたこの音楽祭の心に迫る。
ウクレレに魅了され25年!ウクレレの本質 ハワイの心とは
ウクレレは19世紀後半にポルトガル移民と共に入ってきたのが始まり。フラの伴奏楽器として当時のカラカウア王に推奨され瞬く間に庶民にも受け入れられた。
厳しいサトウキビ畑の労働の中で日系移民の心を奏でる楽器としても親しまれてきた楽器だ。
その材料には主にハワイに自生するコアの木が使われてきた。
コア(Koa)とはハワイ語で「勇気・戦士」という意味。
「マナ・魔力」が宿り、海の安全を守ってくれると信じられてきた。古代ハワイでは、自分たちが進むべき方向に進み、守ってくれる聖なる木として、
コアを用いてカヌーを作り、大海原に出ていった大切な木だった。
関口がハワイの自然に育まれたウクレレ文化を100年に渡り家族で育むウクレレ工房として信頼し、
長年親交を深めてきたのが世界中のアーティストが愛する“カマカ”。そのウクレレ工房を訪ねた。
関口がハウィに持ってきたウクレレもカマカのウクレレだ!
今も注文しているウクレレの仕上がりを楽しみにしている関口が、
そこでウクレレの響きの奥底に秘めたハワイの心に迫る。
「フラにハワイの土を感じた!」
何故、早川さんはハワイに魅せられたのか?
約60年前、ハワイでフラに出会ったのが始まりという早川さん。24歳の彼女が学んだフラの学校を捜すことに。
一軒家の民家をスタジオにしていたイリマ・フラ・スタジオは、ワイキキからオアフ島東海岸沿いに移転していた。
そこに向かった関口を娘さんが迎えてくれた。早川さんが学んだルイーズさんの娘、クム・ラニさんだ。
母の厳しい教えの中で育ち、世界中でフラを教えるクム・ラニさんが語る早川和子「カズコ」との思い出とは?
更に、当時のハワイの事を語るVTRを見たクム・ラニさんは…。
当時の話を聞き、フラの舞いに込められた想いを学んだ関口は、ハワイに、早川さんに更に想いを馳せた…。
ハワイの心と向き合う旅、
最後に向かったのはBaba B.が生まれ育った町へ
関口は、フラガール誕生50周年の演目となった
「ANOTHER RAINBOW」を歌っている
アーティスト・Baba B.を訪ねるため生まれ育った町へと向かった。
何故、早川さんはこの曲に魅せられたのか?
Baba B.は何故、この唄を唄い続けたのか?
何故この唄がハワイの人々の心を捉えたのか?
その答えを探る為に・・・。
そこで語られた初めて明かされる話とは?
家族みんなが涙した訳とは?そして東北への想いとは?
家族の前で奏でられた「ANOTHER RAINBOW」。
そして、関口とのセッションが始まった。
フクシマへ!関口はBaba B.を誘った。唄と舞の力を信じて…
Baba B.は、関口との出会いを通じ日本に初めて向かう事に。
東北、そして早川さんが率いるフラガールに会うために来日することになった。自分の眼で東北を見つめたい。
東北の人々の暮らしを見つめ、大地に立ち、海を見たい…。
しかし、大病からその想いは果たせないまま、3年が経っていた。
海に大地に生きてきた人々の想い。
その悲しみは如何ばかりか?海辺に佇むBaba B.。
被災地へ自転車を送るなど運動を続け、
フラガールとも親交のある関口。
その後、Baba B.は初めて、フラガールの舞台を体験した。
50周年の東京公演で「ANOTHER RAINBOW」を
舞った1人、マカレア麻衣さん。
麻衣さんは地元、福島の海を愛して育ち、フラガールに惹かれて入った後も毎日の様に海を眺めてから仕事に向かっていたという。海は雄大な自然の力そのものだった。
被災者でもある彼女もまた、地元の人々を想い、様々な活動を続けてきた1人だった。
Baba B.は、フラガールを50年間育ててきた振付師、早川さんも訪ねた。
そこで語られた、それぞれの思いとは?
更にウクレレを手に「ANOTHER RAINBOW」の練習に参加していったBaba B.。
そして翌日…
Baba B.がウクレレを弾き「ANOTHER RAINBOW」を唄い、フラガール達が舞う!
奇跡の競演のステージが始まった。Baba B.にとって日本で初めてのライブ。
音楽家に出来る事とは何か・・・。
Baba B.とフラガールの姿を見守る関口と、教え子を見守る早川さんの胸中とは。
フラの力、そして唄のチカラを信じるフクシマ、ハワイを巡る心の旅を追う。

